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じいちゃん、逝く

「ごめんね、間に合わなかった」と姉に謝られながら、ビデオ通話画面に映る病室を見ていた。妙に明るい病室で、心電図のモニターがピーと一定の音を流していなかったら、そこが病院なのだとうまく判断できなかったかもしれない。
ベッドの周りに家族が集まっているが、ばあちゃんの姿はまだなかった。老人ホームからまだ着いていないのだろう。下顎呼吸のまま息を引き取ったじいちゃんの姿が画面に映し出される。名残で開いた口。とても疲れてよく眠っているようにも見える。
画面越しに兄がぐしゃぐしゃに泣いている姿を見る。この人が泣くのは、こんなにも泣いているのを見るのは、彼が大学受験で両親と揉めていた20年前以来だと思う。
やがて、ばあちゃんが到着する。「あんたァ!!」とじいちゃんに覆いかぶさって泣き叫ぶ。
担当医が病室に入ってきて、死亡時刻を告げる。ばあちゃんの到着を待っていたのだろう。

職場の空き会議室の片隅で僕は画面を見ていた。外はカラッとした五月晴れだ。とめどなく流れてくる涙を放置しながら、「今夜には帰省しないといけないな」と冷静ではいた。通話が終わったあとで、姉がこの後のスケジュールを連絡してくれる。冠婚葬祭でいつも情報を取り仕切って連絡してくれるのは、このしっかり者の姉だった。

片道5万に高騰している飛行機のチケットを取り、上司に理由を説明し家に帰った。喪服を揃え、香典代を工面し、スーツケースを引きずり空港へ向かった。金曜日の京急線は空港へ向かう人でいっぱいだった。


じいちゃんは、クシャミだけはやたら大きいが寡黙な人だった。相撲と西部劇を愛し、畜産肉牛を育てることに生きがいを感じていた人だった。一方できゅうりやトマトやスイカ、トウモロコシを作り、稲作にも精を出していた。家族を大事にし、孫である僕たちを愛した。共働きの両親に代わり、幼稚園まで僕を自転車で迎えに来てくれたこともある。「おれがおむつを替え、風呂に入れて育てた」のだと周りに自慢していた。
ぶくぶくと太って身体が大きくなる僕を「相撲取りになるのかァ」などとよく笑った。

身体を壊し農業を辞めざるを得なくなったあとは、日がな一日、縁側にじっと座ってコンクリートの庭や、一角に生えた桜の木を眺めながらラジオを聴いていた。夏の暑い日も冬の寒い日もそこに座って、ノイズ交じりの相撲中継を聴いていた。
太陽がじりじりとじいちゃんの禿げ頭を焦がさないか僕は心配していた。


通夜会場には、たくさんの人がやってきてお悔みを告げた。
20余年ぶりに会う親戚たちはすっかり老け込んでしまっていてすぐには誰なのかわからないくらいだった。ほぼみんなが農業を生業としていた。
「キュウリはもう10日もしたら収穫する」といとこ伯父がばあちゃんに告げる。
「そうか。もう季節がわからなくてよ」とばあちゃんは嘆く。彼女もまた何十年もじいちゃんの農業をそばで手伝ってきた一人で、作物で季節を感じ取ってきたのだろう。でも老人ホームに入ることになって、すっかりその感覚を失ってしまったようだ。
すっかり年老いた大叔父がやってきて「畜産はじめたから、あんちゃんに教わろうと思ったのによ」とお悔みを告げた。ばあちゃんは慟哭した。ぐしゃぐしゃになった顔で、姉が描いてあげた眉毛だけは妙にキリリとしていた。

ちいさな子供たちが会場を走り回り、親がそれを𠮟る。「おおきいじいじは寝ているの?」と死を理解できない頭で疑問を投げる。「そうだよ。遠くで寝ているの」と返すと、ふーんと気もそぞろにまた駆け出す。子供たちの存在がとても賑やかでありがたかった。「せからしい!」とじいちゃんが生き返って怒ってくれるのなら望むところだし。

顔パックなんて人生で初めてだろうにと姉がじいちゃんの禿げ頭を撫でながら呟いた(生前もよく撫でていたな)。死化粧が施されていく様子を見ながら、ここは人生の内側なのか外側なのか僕にはわからなくなった。姉は「ご利益があるよ」と子供たちにも撫でるの勧めている。「やめんか!」と照れ隠しに怒るじいちゃんを思い出した。

夜、明日荼毘に付されてしまう前に一人お休みを告げに棺へ向かった。そっと覗くと、口角があがっている気がした。やっぱりうるさかったよねぇ。


すっかり焼かれて骨になったじいちゃんを見下ろす。右ひざに埋め込まれた金属のボルトが一番妙な存在感を放っていた。こんなものを身体に埋め込んで十何年も生きてきたのか。火葬場の熱気で顔が火照っていく。白い骨と黒い金属のボルト、黄色い何かと赤い何かが、焼け落ちた棺の中で、はたまた灰色の大理石の囲いの中で煌々と色を成していた。


お寺で住職が戒名の由来を説く。これから仏の弟子として戒律を学ぶのだという。
あんなに牛肉が大好きで味にうるさかった人が、果たして仏の修行に耐えられるんだろうかと不謹慎なことを想った。でも、まぁ、仏さま然としたじいちゃんの禿げ頭なら大丈夫なんだろうなどと根拠のないことを思った。


帰りの飛行機の中で、大叔母が言ったことを思い出した。「あなたのことを、1人で北海道に行ってしまったあなたのことをよく語ってくれたのよ。あなた就職も東京でしたから、会えなかったのが寂しかったのかもね。ずっと語ってたのよ、あなたのこと」

僕がこの人生の中で、獣医師を目指していたのはじいちゃんの牛を診ることができるようになりたいという想いが一つあったことを思い出した。結局その夢は叶わなかった。見当違いの、行き当たりばったりの道を歩んでいる。
申し訳ない想いとともに僕は泣いた。

じいちゃんはここ数年は寝たきりで体力だけが摩耗していく日々だった。脳梗塞の後遺症で半身はマヒしているし、呂律は全く回っていなかった。
電話越しで、正直何を話しているのかわからず、適当に相槌を打っていたこともある。

でも、確かに「頑張るんだよ」という言葉だけはわかった。
ひたむきで実直なじいちゃんは、いつも僕に頑張れと言った。

頑張らんとなぁ、と僕は離陸する飛行機の中で呟く。

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