何をするのが大人か

子ども扱いを嫌がったり、これまで褒められたことを当たり前に課されるのを嫌がったり、うちの子もそんなお年頃になってきた。

日の出の景色みたく時間的に移り変わりながら、一瞬を切り取ってもグラデーションがある。都合よく子供になったり、大人ぶったりカマされる今日この頃、私の持論について展開する。

大人は「なる」ものじゃなくて「する」ものだ!
なんて言葉をどこかで目にして、そりゃぁ一理あるなとは感じた。

私自身、求められる状況があれば「大人だったらこういう行動をするだろう」を演じているだけで、絶対的な大人だと自信を持って言える訳ではない。

私の親から見れば私は子供だし、うちの子の前では大人を演じる。大人なんてけっこう相対的な役割めいたものかもしれない。

じゃぁ、何を「する」のが大人なんだと言えば、私の持論では「傍を楽にする」ことだと捉えている。

「働く」と書くと、いわゆる企業にお勤めすることを連想する。それは代表例ではあるけれど、それだけでは考慮が漏れる領域もある。専業主婦として家を守ることも立派に傍を楽にしている。妻がそう。

というのを子供にも当てはめると、子ども扱いを嫌うならば大人をやってみるのがオススメという話になる。

家族のためにお皿を洗ったり、洗濯をしたりしていれば、存在感も高まり「こいつの言うことなら聴いてやろう」という話になる。

大人の物差しは人それぞれで、見方によっては正論でねじ伏せるのは大人らしくないかもしれない。ともかく、私の大人観はそういうものだと話す。

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