なぜ一見さんが高圧的な催促をしてくるのか?

行きつけのお店でスカウトされて接客を手伝っている。スタッフが複数人いても店の構造上は分業できないため、オーダーを取って、ドリンクを準備して、提供するところまで連携プレイで臨機応変にやる。

混雑してくると注文をとるのが遅れたり、声をかけられても気付きにくかったり、お時間を頂戴したりする。

持たせてしまって申し訳ない気持ちも半分くらいある。残りの半分は、混雑した個人店を避ける選択肢もあるんだから、「あなたの選択ですよね」という割り切りがある。

「まぁ仕方ないよね」と大人しく待ってくれるお客さんもいれば、大声で高圧的に「いつまで待たせるんだ!」と催促してくる人も稀にいる。

忘れていない限りは順番に処理するので、催促されたところで提供するサービスの質は何も変わらない。理論上。

常連のお客さんが気を遣って「私は後回しでいいよ」と言ってくれた時は、順番が変わることもある。それは、お店の努力というより、常連さんの思いやりである。

なぜ一見さんが高圧的な催促をしてくるのか?

私の肌感覚として、常連のお客さんには大人しく待ってくれる人が多い。催促してくる人は一見さんに多い。みんながそうだという訳ではなく、大雑把な傾向として私はそう感じられるという話。

この現象について考察するに、「期待との不一致」と「生存バイアス」が思い浮かぶ。

世の中には、システマティックに素早くオーダー処理してくれるお店も多い。そのスピーディーさを期待して、混雑した個人店に入ると「期待の不一致」がおこる。

期待の不一致を避けるには、席に着く瞬間に「混雑時はお時間かかりますがよろしいですか?」という意思確認があればよい。気に入らなければ、そこで帰ればよい。

とは言え、どの程度なのかを正確に伝えるのは難しいし、ルール説明みたく細々話すのは野暮である。そもそも忙しいのだから、細かい説明はできない。

お客さんが一度経験すれば、そういう店だと解る。気に入らなければ二度と来ない。もし毎回来店しては高圧的に催促するお客さんがいたら、求めているのはサンドバッグだから、「あなたの期待には応えられない」と店側からお断りするだろう。

いわば「生存バイアス」みたいなもので、大人しく待ってくれる一見さんだけが残って次の常連さんになる。来店する度に商品ラインナップが変わる店には、システムが導入しにくい反面、そこを魅力として気に入ってくださる。

なぜ高圧的な催促をするのか?

一見さんの中にも、高圧的に催促してくる人はごく一部で、大抵のお客さんは大人しく待ってくださる。

大の大人が、どうして大声だして催促するんだろう?...以下、正しいかは知らんけど、私がぼんやりと考えていることを書く。

一見さんの高圧的な催促は、子供が「ママ、見て!」と言う、アテンションシーキングに近いものと捉えている。子供のお年頃によっては、1日に100回は言って気を引こうとしてくるアレ。

子供は大人のまなざしを求めている。まなざしが十分に満たされると、1人の人間として認められているのだという自信につながる。自信を持った大人は、わざわざ確認する必要はなくなり、成長につれて「ママ、見て!」と言わなくなる。

でも、まなざしが満たされないままに大人になってしまった人もいる。大人か子供かは関係なく、足りていない人にとって、他人との関係性の中で「あなたは存在するだけで尊い」ことが満たされる必要がある。こじらせた大人を満たすのは、周囲の人にとって胆力が要る。

一見で入るお店の場合は特に、周囲との関係性が築けていないため、自分の存在が危ういものになる。それを「自分は尊重されていない」と受け止めてしまい、我慢できなくなる。「俺をないがしろにすると怖いんだぜ!」と高圧的にアピールをすることで気を引く。これが一見さんによる高圧的催促の正体ではないか。というのが私の見立てである。

あなたを蔑ろにしている訳ではない。ただ、手が回っていないだけなのだ。

そう捉えると、けっこうかわいそうな人ではある。お店は心のくつろぎが得られる場所なのに、ちょっとした掛け違いで、高圧的な態度を取ってしまう。それによって敬意を示されることはなくなり、他者との健全な関係が築けず、まなざしが満たされない。

ファーストコンタクトで「あなたは価値ある人間だ」と示せる接客ができれば、世の中は良くなるのかもしれない。そんな芸当ができるなら聖職者になっているだろう。子供なんて1日100回は「ママ、見て!」と言うのだから、たぶん接客の一瞬でどうのこうのできる話ではない。やはり、大人になるまでに家庭で育むしかないのだ。

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