違う、そうじゃない

「違う」という言葉は、2つの違う(different)意味を持つ。

一方は「同じ」の反対語としての「違う」
英語では「same/different」、関西弁では「いっしょ/ちゃう」。
もう一方は「正しい」の反対語としての「違う」
英語では「right/wrong」、関西弁では「せや/ちゃう」。

タイトル「違う、そうじゃない」の違うは後者(wrong)だろう。

かつて英単語を暗記していた時に「どうしてこんなに意味が違う(different)言葉に同じ単語を当てるんだろうか」と気になって以来、それまで当たり前だったことを意識するようになった。

もちろん2種類の「違う」を当たり前に受け入れてきたので、それなりの説明は試みられる。前提として「唯一の正解が在る」価値観を仮定すれば、正解と一致すれば正しいし、正解と違う(different)のであれば違う(wrong)と言える。このため、どちらの意味でも同値関係になるので、わざわざ使い分ける必要がないという説明が付く。

どちらかといえば人種・価値観が均質な日本人がつくった言葉なのだから、AS-ISの仮説としてはソコソコ正しいと思う。しかし、「唯一の正解が在る」ことを仮定し続けるのが将来に向けたTO-BEの理想像かと言えば、違う(wrong)そうじゃない気がする。多様性を重んじるほど、相手と違う(different)場合でもお互いに正しいことを認めあわねばならない。

乱暴に概念化すると「外の世界を知ることで、自分のバイアスを意識することになり、自分の思考のクセについての理解が深まる」みたいな教訓だと捉えている。年食うと新しい知識・出会いを求めることに億劫になりがちだけど、この意味でもコンフォートゾーンから抜け出して新しい知識・人と出会って吸収しなきゃならんことを思う。

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