母の白髪を染めた日々
鼻をつく、つんとした匂い。
ペロペロのビニール手袋。
プラスチックのコーム。
1剤と2剤を混ぜ合わせたペーストをコームですくって頭にのせる。
「わあ、冷たい。」
母がそう漏らした。
ショートヘアの髪の毛の半分ほどの長さが白髪になっている。
***
母親に頼まれて白髪を染める役割に就任したのは小学三年生の頃だった。
母は若白髪で、物心がついたころから自宅で白髪を染めていた。
母が私に髪染めを頼むようになったのは、単純に自分では染めにくかったからだろう。
それでもなんとなく、初めて母の髪を染めた日は嬉しくてどきどきした。
大人の世界に足を踏み入れた気持ちと、自分が母の髪染め大佐だ!という大きな役割を担ったという誇らしい気持ち。
中学生に上がる頃までは頻繁に母の髪を染めていた。
白髪が多い母は月に一回のペースで髪を染める必要があった。
そこから思春期に入り、忙しい、面倒ということを理由に手伝いはやめた。
染めるのを断るたび、母は少し寂しそうな顔をした。
***
社会人になって久々に実家に帰ると、母の白髪がずいぶん目立っていることに気がついた。
その時は、ただ単に長いこと染めていないからだと思ったが、母の腰が少し曲がり頭皮が見えやすくなっていたことも原因だったとあとで気づいた。
わたしはなんとなく申し訳ないような気がして、髪を染めようか、と聞いた。
母は嬉しそうにうなずいた。
そして、「わぁ、冷たい。」と声を漏らした。
わたしななにも言わずにもくもくと作業を続けた。髪を掻き分けて、ペーストを塗る。30分ほどおけば完了だ。
シャワーを終えてドライヤーをかけた母の髪の毛は焦げ茶色に綺麗に染まっていた。
母は「やっぱり気分が明るくなっていいね」と言った。
わたしは「そうだね、いい感じだよ。」と言った。
***
その日から10年がたち、母は地元の介護施設で朝4時に一人で旅立った。
私が母のもとに駆けつけることができたのは11時頃だっただろうか。
ベッドに横たわる母の髪の毛は、ほとんど真っ白だった。
これは、私と母の空白だと思った。
心のなかで、ごめん、と呟いた。
髪を染めることは、私たちにとっては絆だった。
薬剤を混ぜて、髪を掻き分けて、丁寧に塗っていく。
大切な人の髪に触り、健やかでいてほしいと願う。
髪を染めながら、言葉ではない会話を、私たちはしていた。
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