繊細社畜女子の映画鑑賞記録「8 1/2」
4本目。
フェリーニ監督2本目。
最初に見た「道」とは全然違う作風でビックリした。
見終わった後の第一声は「あれ?道と違って難解な作品。現実と幻の境目がわかりにくいな……。」だった。また舞台演劇に似合いそうだなと思った。
(と思ったら、2009年に「シカゴ」のロブ・マーシャル監督が「NINE」ってタイトルでミュージカル映画化してた……!キャストめっちゃ豪華……)
あの幻?夢?妄想?のシーンってどうみんなとらえてるんだろうと思って色々調べてたら「白昼夢」とか表現されていたところもあった。
うーん……。いや、私はあの虚構のシーンは、主人公グイドが精神的に追い込まれた末で見ている幻覚なんじゃないかと思うんだけどなぁ。映画冒頭でも温泉地とはいえ、サナトリウムみたいなところにいたし。
前に統合失調症の発作を起こしてしまった人を見たことがあるけれど、幻覚の内容って基本的には自分が追い込まれるような内容だけど、たまに物凄く都合のいい幻覚も見るらしい。
そう考えるとラストシーンで、グイドが拳銃自殺した後にモノクロの服を着た人たちと踊っているのも理解できる。
「道」では「誰だって誰だって役にたつんだよ。この石ころだって役に立つんだよ。」ってメッセージがあったのに、今回の作品では「この世に絶対必要なものがあるか?」なんてセリフが出てくる。
この作品は、次回作に悩んでいたフェリーニの苦悩と葛藤を、そのまま映画として表現した私小説作品だと言われているけれど、相当精神的に追い込まれていたんじゃないかと思う。
また、この映画の評価はとても高く、ウディ・アレン、マーティン・スコセッシ、アンドレイ・タルコフスキー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ロマン・ポランスキー、ロベルト・ロッセリーニ、イングマール・ベルイマン、他にも多くの映画監督のベスト映画になっており、映画の最高傑作と言われているらしい。
世の中の映画監督がどれほど精神的に追い込まれながら名作を世に送り出しているのかもわかる……。
ラストシーンのセリフで「人生はお祭りだ。一緒に過ごそう。」というものから、最終的には基本にあるのは生きていく意志を描いていると基本的には解釈されている(というかフェリーニの作品は「生」を描いているらしい)とのことだが、私は創作の辛さ・世間の評価の過酷さ・自分の脳内が他人に理解されない苦しさの方に強く共感してしまった。
それにしても、昔の作品には愛人が当たり前のように出てくるんだなぁ……。男性ってそんなに女性を何人も侍らさないと生きていけないんだろうか……。フェリーニの奥さんは「道」のジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナただ一人だったと史実にはあるんだけど、当時本当はどうだったんだろうなぁとボンヤリ思った。
あと蛇足だが、このグイドの妻のルイズ役のアヌーク・エーメがめちゃめちゃ綺麗で、私の大好きな「この会社に元気でいてほしい。使い潰されないでいてほしい」って言ってくれた上司(https://note.com/odamoemovie/n/nf65c2598a12b)に似てて、ちょっと調べて作品見てみたいなと思った。
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