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繊細社畜女子の映画鑑賞記録「グリーンブック」

 昔から「優しい子だね」「いい子だね」「繊細で素敵だね」と言われてきた性格の自分だが、社会に出てからはそれは他人の付け入る隙や欠点となる場合がある。
 他人が自分の利益になるかどうかで付き合う人間を変えたり、自分が上がるために蹴落としたりすることも、社会では必要なのだと学ばされたけれど。
 くそ真面目に自分と戦って自分を着実に伸ばすことしか出来ない私にとって、他人を差別したり見下したりする方法がわからない。

 そんな自分がもっと厳しい世界を知ることが出来るのは映画の世界。
 映画を通して世界を疑似体験することで、少しだけ心が強くなる気がする。
 
 2020年にアカデミー作品賞を含む5冠に輝いた「グリーンブック」を映画記録の最初の作品として、今回吹き替えで見てみた。

 普段から字幕で洋画を見ていて吹き替えを見るのは数年ぶりだったのだが、主役のトニー役を大塚芳忠さんが演じられてて、最初に見た時とトニーの印象がガラッと変わった。

 英語だと「ちょっとデリカシーのないやつだな」くらいにしか思ってなかったのに、吹き替えだと序盤「なんだこいつ、「無礼」って服着た人間が喚いてる」くらいの気持ちですごく気分が悪くなった。(その代わり終盤では「自分の懐に入れた人間に対しての心根はあったかいやつなんだ……。人間って言葉遣いと身だしなみと会話の間って大事なんだなぁ」と私の身に染みるんだけど)

 今回見直した中で一番印象に残ったシーンは、トニーとシャーリー(本作のもう一人の主人公。トニーを用心棒として雇った黒人ピアニスト)が、アイオワ州からノースカロライナ州に移動している最中に車がエンストしたシーンで、たまたま車が停止したのは貧困層の黒人が大勢働く農園前。
 成功して上等な服を着て白人の運転手を雇っているシャーリーを射殺さんばかりの目で見る同じ黒人の目があまりにも哀しかった。

 作品の結末は、絶対に合わない性格と人種の2人が最終的には心を通じ合わせ、この旅が生涯を通じての友情となるという心温まるもの。見終わった後にはホッとした気持ちと自然と笑みが零れる余韻がある。
 日本人のレビューを見ても同じ意見が多くみられる。

 が、アメリカでは批判も相次いだ。
 「グリーンブック」とオスカーを争った「ブラック・クランズマン」のスパイク・リー監督は特にだ。確かに「ブラック・クランズマン」はもっと厳しい差別と人種の分断を描いていた。
 アカデミー賞授賞式では、作品賞受賞時に白人の監督が撮った「グリーンブック」で白人ばかりがステージに上がっていたのを見て、ブラックパンサーで有名なチャドウィック・ボーズマンも呆れた表情を見せていた。
 舞台であるアメリカでは、あのエンディングは「エンタメ的」エンディングで、むしろシャーリーの存在は白人の行いを許す都合のいい存在とまで評されている。

 現に、「サンダウン・タウン」と呼ばれる差別的な法律、脅迫、暴力などを用いて、人種や民族を排除するという人種的分離が行われている地域がいまだにあるらしい。
 リンクを貼るのは、2021年に発表されたサンダウン・タウンの分布図。

 「グリーンブック」の舞台となった1962年から60年も経ったのにと捉えるのか、まだ60年しか経っていないと考えるべきなのか。

 だから、私は差別がこの世からなくなるなんて甘いことは言えない。
 でも、それでも努力をして自分と戦って生きているシャーリーのような人が、悪意のこもった目や色眼鏡で見られることが少なくなる世の中になることを祈っている。

 最後に。
 最初見たときは、シャーリーがケンタッキー・フライド・チキンを食べたことが無いことに、トニーが驚いていたシーンを笑って見ていた。
今回、ふとなんであんなに丁寧に書いたんだろうって思って調べてみたら、元々フライドチキンは南部の黒人奴隷のソウルフードとして知られているとのこと。安くて栄養価が高く、満足感の得られるフライドチキンは、肉体労働者が主な仕事だった黒人奴隷だけが食べるものだったという事実。
 無学だったことにちょっとショックを受けた。

 
 だから私は、世界や歴史や未知の感情を知るために、明日も映画を見ようと思う。

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