#0115「資本主義」って何?・その2~神の見えざる手~
前回に続いて「資本主義」について考えてみた続編です。
前回は資本主義のインセンティブ設計にバグがあって、人のためにならないことも儲かれば良いことになってしまうという特徴について述べました。
こんなことを書いていると、「そんなことわかっているよ」「なに青いこといっているんだ?」「これが現実なんだよ」みたいな誰ともない声が脳内で響き渡ります。
それは市場経済というものを前提として成り立たっていて、できるだけ国家や人の手が入らない自由市場であるべし、つまり「神の見えざる手」に委ねるべしとする世界で生きてきたため、それが所与のものとなり、無意識のなかにいる住人たちからの声なのでしょう。
今日は「神の見えざる手」について書こうと思います。
○アニマルスピリッツ
まずは、「神の見えざる手」と言ったとされる経済学者・ケインズの著書からの抜粋を。
経済は利益の見込みやリスクの確率に基づくものではなく、人間が持つ将来に対する期待や自然発生的な衝動(合理的でない衝動や思い)にある、とケインズはいい、それを「アニマルスピリッツ」と呼んでいます。
少子高齢化や人口減少という抗いがたい縮小社会である日本の現状は、まさに「企業活動は色あせ、やがて死滅してしまう」状況にあると思います。以前、noteで東日本大震災から13年間で日本は老化したと書きましたが、個人も企業も社会全体が血気(アニマルスピリッツ)が衰え、数値的な期待値を重視し、リスクに怯える状態にあるように思うのです。
パイの広がらないなかでは、無理せず、安全第一に行動することには、合理性があるので、そうした選択を積み重ねていくことで、個人も企業もリスク回避的思考になり、安全運転、安全操業で、成長や変化よりもコスト削減を優先した結果、今の日本があるわけです。
○デフレ脳がアニマルスピリッツを衰えさせた⁉
これがまさにデフレ脳だとしたら、デフレ脳は人間が本来持つ「アニマルスピリッツ」さえも衰えさせる恐ろしいものだと思います。もしかすると、「アニマルスピリッツ」を失ったから、何となく満たされていない感覚や喪失感などが社会を覆ってしまっているのではないでしょうか。
とくに、より楽観的にチャレンジ意欲をより持てるはずの若年層の待遇が良くないことや、社会保険料の負担増などで可処分所得が少ないことなどから、逆に将来に不安を抱えてしまい、アニマルスピリッツを燃やすことができない点も、日本社会全体が老いている要因なのかもしれません。
○PDCAのPはパッション!
そんなことを考えているときに、いつも聴いている木下斉さんのVoicyの放送が、連日とても強くリンクする内容でしたので、URLを共有したいと思います。
タイトルをご覧になられただけでも、なんとなくニュアンスが伝わってくるかなと思うのですが、長期にわたるデフレ経済のなかで、我々は様々な面でデフレ脳に侵されてしまっているわけです。
とくに「生き方」と言う面では、大人の言うことを聞く、良い大学に入って、良い会社に入るとか、いわゆる優等生になることが良しとされる教育を受けてきた人たちは、何となく高校・大学に進学し、何となく就職して結婚して家庭を持って・・・と生きていたり、会社のルールや価値観に対しても違和感を憶えず、長い者に巻かれるような生き方を選んでいたり、こうした個を殺して周りに合わせることが協調性と思っていると、組織の中で個を殺すことに疑問を抱かなくなります。
こうして、子供のころや若いころは、アニマルスピリッツに満ち溢れていたのに、大人になるとそれが萎んでいってしまう。
だから、大人たちよ!(自分も含めて)パッション燃やして生きてみようぜ!と思うのです。そこに合理的な理由とかはいらないと思うのです。ラーメンが好きだからラーメン屋をやるでも良いし、なんでも良いと思うのですが、合理的に説明のできないアニマルスピリッツこそが、経済を活性化させ、オモシロイ世の中を作っていき、生きた資本主義経済が回っていくように思います。
資本主義のことを考えながら、木下斉さんの放送を聴いて、なんとなくそんなことを考えたりしていました。すると、会社の仕事が全然手に付かなくなってきましたw
アニマルスピリッツを抑制し、リスクを取らずに決められたことだけをして、ルールを無駄に作って労働力の無駄使いをする。そんなホワイトカラーばっかりだから、生産性も向上しないんだ。そんなことまで考えてしまうとダメですね。マジで人生をジブンの力で動かし始めます。