#0114「資本主義」って何?・その1
コロナ禍からだろうか、ずっと資本主義って何?と考えています。
最近も資本主義って何?と考えることがあって、とりあえず正しいか正しくないかは別として、自分なりの答えが出た感じがするので備忘的に何回かに分けて書き留めておきたいと思います。
どうしてこんなこと考えるようになったかというと、自分にも本当のところはよくわからないのですが、コロナ禍と子供が誕生したことが重なって、大きく日常が変わり、これまで所与のものとして受け入れてきた常識が、常識に見えなくなってきて違和感を憶えるようになったからかなと思う。
少子高齢化の社会のなかで、子育てしているというだけで人口割合的には少ないほうになるのかもしれないし、ましてや4ヵ月の育児休暇をとることで会社という組織の中でもマジョリティから外れてマイノリティになったことで、社会の見え方が変わって、資本主義で人々が幸せになるはずなのに、あまりそうなってないなと思えてきて、なんでだ?なんでだ?となったのが根っこになるのかもしれない。
難しい数式が出てくる経済にはあまり興味がないので、経済思想的な内容になるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると有難く思います。(2855文字)
○違和感
・子供のころ
私たちは資本主義の社会で生きています。
これまでそれに対して何ら疑問を持たずに所与のものとして生きてきました。
子供のころは、祖父母から戦争の話や、焼け野原から立ち上がり、一気にライジングしていく話をよく聞いていたので、「世の中はきっと今よりもどんどん良くなる。焼け野原からこんなに豊かな国になったのだから、まるでドラえもんに出てくるような未来が訪れるに違いない。」と子供ながらに想像をしていました。
今思うと、こうした「将来は今より良くなる」という思考は、とても資本主義的で、人類の長い歴史から見ると極めて稀な思考(昔は世の中はどんどん悪くなると思うのが普通だった)であることが分かるのですが、結構長いことそう思って生きてきました。
・社会人になって
ですが、10年以上社会人をやっていると、世の中の停滞を感じたり、自由市場経済の「神の見えざる手」によって人々の幸福が達成されるはずなのに、格差問題や環境問題などが解決されない。
2008年にはサブプライムローンをきっかけにリーマンショックが起こったり、アメリカでは富の多くを一部の極めて少数の人たちが保有しているような状況が起こったり、それによる不満が爆発してぶっ飛んだリーダーを選んだり、、、、、
昔に比べたら良くなっていることはたくさんあるのだけど、中長期的に将来を見たり、自分を含めて出来るだけ多くの人類のことを考えると、あんまり資本主義で人を幸せにしてないじゃんと思えてきたんですよね。
・金融の世界にいて
私は銀行、カード会社、リース会社とずっと金融の世界にいるわけですが、金融が世の中の話題の主役になっている時代って、あまり良い時代ではないなと思うことがあるんですよね。
例えば、世界大恐慌とか昭和大恐慌とかバブル崩壊にリーマンショック・・・・・・
金融が主役になると、おかしくなる。
お金は経済の血ともいわれて、金融はそれを世の中に循環させることが役割。あくまで舞台の裏方さんなわけで、主役と勘違いして舞台で踊ったりする役割ではないんですよね。きっと。
だから、私は良い黒子になろうと思って仕事をしてきました。
製造業、建設業、サービス業、さまざまな業種の方々が経済という舞台の主役で、私たち金融は、主役の方々が存分に舞台の上で能力を発揮できるようにお金の面でお手伝いをする。
そんな思いで取り組んでいたら、お取引先に感謝されることが多くなりました。
銀行時代もそうした悦びはありましたが、いまはお取引先や更にその先のお取引先、そして更に先につながる貢献をしているなという実感を持つことができています。
ですが、社会の解像度が上がれば上がるほど、もやもやする違和感が増していくのです。
○インセンティブ設計がおかしい
仕事が面白くなってくると、もっとこうしたい、こんなことにトライしたい、次はこんなことで貢献したいと思うようになります。
新し取り組みにトライすることは、相応のリスクは伴いますが、間違いなく世のため人のためになることが明らかなことは、ある程度の採算を確保できる計算ができれば、トライアル的にも着手していったら良いと思うことがたくさん出てくるわけです。
ですが、絶対に世の中のためになることでも、会社が求める利益を取れてなければ、社内稟議は通りません。当たり前ですが。
ここで資本主義の一つの特徴に気付くのです。
市場経済にとって良いこと(=儲かること)と人類にとって良いことは必ずしも一致しないのです。
このジレンマというか、資本主義のインセンティブ設計のバグというのか、これめちゃくちゃ悩みませんか?
○人のためにならないことも良いことになる金融資本主義の怖さ
資本主義の世界では、自由に取引を行って対価を得ることができ、それが需要と供給のバランスのなかで成り立っていくということだと思いますが、この市場にとって「良い」とされることは、「人のためになるか」「世のためになるか」ではなく、「儲かるかどうか」になってしまっているので、会社で幾ら世のため人のためになる稟議をあげても、儲からないと否認される。
会社は株主のもので株主に還元をしなければならないので、株主に分配する原資を確保するための経営がなされているか取り締まる取締役がいて、使用人を使っているわけなので当たり前と言えば当たり前なのですが、先程のリーマンショックやバブル崩壊もこの構造の中での選択の連続の結果であって、とくに金融の場合は、儲かることが優先されて、儲かる金融商品があればそれが善、世のため人のためにならないことも善となってしまうので、サブプライムローンや複雑な金融商品を世に出して爆発させてきたわけです。
環境問題、格差問題、過疎化・・・
こうした問題がなかなか解決されないのも、資本主義におけるインセンティブ設計のバグがあるからで、人類にとって良いことではなく、儲かる期待値の高いものしか正当化できないという点が人を幸せにするはずの資本主義が、不幸を作っているということになっているんじゃないかなと思うのです。
生活をするため、事業を継続するには、儲けることは必須ですが、なんのための事業なのか、なんのために行うのか、これにより世の中は人々の生活はどう変わるのか、といった天下を見る目みたいなものが必要な気がするんですよね。きれいごとみたいですけど。
なんか、日本の労働者の多くがサラリーマンになり、分業化されて見える社会の解像度が低くなっている現代。自分のやっている仕事が本当に世のため人のためになっているか、不幸にしていないか、今よりも良い未来を作っているかを考えないといけないように思います。
長くなりそうなので、後日続きを。
ここまで読んでいただきありがとうございます!