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#0107 POTLUCK FES’24 Spring:静かなる革命(2/2)

3月8日(金)にPOTLUCK YAESUで開催された”POTLUCK FES’24 Spring”に参加してきました。

前回のnoteに引き続き、株式会社雨風太陽の高橋博之さんのセッションの内容と感想をシェアしたいと思います。(3644文字)


○リソースを都市と地方で使っていく

・過疎はいつから始まった?

1954年から。

集団就職。

戦争から立ち上がる時、若いリソースを都市部に集中させる。

これが約22年間続く。

多くの人が仕事を失い、財産を失い、再び日本が自立していくには、これが合理的であったのです。

POTLUCK FES のあと、私なりに1954年以降の時代的な流れを整理しました。

  1. 高度経済成長期の始まり: 1954年は日本が高度経済成長期に入る前夜。この時期から農村部かた都市部への人口集中が顕著になり始める。都市部での雇用機会の増加が、農村部からの若年労働力の流出を促進した。

  2. 集団就職の推進: 1950年代から1960年代にかけて、政府は農村部の若者を都市の工場や企業へ就職させるための「集団就職」を「国策」として推進。農村部から都市部への人口移動を加速させた。

  3. 農業の機械化と生産性の向上: 農業の機械化が進み、農業従事者の労働生産性が向上。これにより、農業で必要とされる人手が減少し、余剰となった労働力が都市部へ移動することにより、都市部の産業発展を支える労働力を供給した。

  4. 生活基盤の変化: 都市部では、より高い生活水準、教育機会、医療サービスなどが提供されていたため、多くの人々が都市部へ移住することを選択した。これにより、農村部の過疎化と地域格差が進行。

  5. 経済構造の変化: 高度経済成長により、日本の経済構造は農業中心から工業中心へと大きく変化しました。これに伴い、人々はより多くの雇用機会を求めて都市部へと移動。工業化とともに男性が外で働き、女性が家庭に貼りつくことが合理化されていった。

これらの要因が相互に作用し、1954年の集団就職を契機として、日本の過疎化が進行したと考えることができます。集団就職によって、多くの若者が農村から都市へ移住することで、生活水準の向上や教育機会の拡大など、社会経済的なメリットを享受することが期待され、さらに人を都市へ吸い寄せる構造が今日まで続いていると考えて良いのかもしれません。

・失われた35年

集団就職は1954年から22年間続いたと言います。

ということは、22年で農村から都市への労働力の移動を止めたとも考えられるわけですが、実際はより物質的な豊かさや経済的なメリットを求め人々は都市へ向かっていき、嘗ては少数だったホワイトカラーを大量に生産していきました。そしていま、大量のホワイトカラー、少数のブルーカラーというような状況が続いているのではないでしょうか。

おかげで日本はバブル後、長期に足踏みし、失われた○○と言われました。この失われた○○という言い方も他責感あってあまり好きではないのですが…

これは集団就職という国策の延長を走り続け、高度成長路線から成熟社会に舵を切らなかった代償といえるのではないでしょうか。

国は過疎化対策、都市と地方の格差是正といって様々な政策が打ち出され、多額の税金がつぎ込まれましたが、生活水準は改善しても過疎化は是正されない。

国頼みの地方はどんどん考える力を失い、地方の方々は自信もプライドも失なっていったのです。

・都市の魅力って何だっけ?

都市の魅力。

それは、違うものがぶつかりあって、混ざり合って価値を生み出すこと。

もはや東京も活力がなくなっている。

異質なものとのぶつかり合いがない。

都市と地方の分断が進み過ぎて、両者が大きく離れすぎてしまった。

都市も魅力を取り戻さな得ればならない。

都市は地方の力を必要としているし、地方も都市の力を必要としている。

○都市と地方の分断

課題は行き過ぎた都市と地方の分断です。

消費者と生産者の分断も著しい。

具体的には、生産者と消費者のバリューチェーンが伸びすぎていて、生産者の思いが消費者に伝わらない。消費者の思いが生産者に伝わらない。

お互いに離れすぎてしまって、単純な「値段」だけで評価する費用対効果のいが評価軸になってしまう。ストーリーとか気持ちとか関係ないになってしまう。

・消費は選挙と一緒

消費も選挙と一緒。

意思表示。

それで社会が形成されていく。

消費行動を続けてきた結果が今。

我々は異常に長く成長したバリューチェーンのうえで大量生産大量消費社会を生きている。この社会のなかでの選択(=消費)の積み重ねによって生きてきました。

・受贈的人格を取り戻す

「この人から買いたい」と思う経験って私はあるのですが、日頃から感じているかといえば、決してそうではありません。これも自分がイチ消費者であり、生産者との距離が遠くなっていることを表しているのではないかと思います。

受贈者的人格
贈り物を受け取った時に「いいものを受け取ったな。もらった以上のものでお返ししたい」と考える人格

この皆が本来持っているはずの受贈的人格を取り戻すことが、都市と地方の距離を縮め、都市と地方をかき混ぜることになるので、「ぽけまる」で取り組みを行っているとのこと。

・顔が見えない者同士が「手間」を通じて繋がる

ぽけまるで野菜を注文する。地方の農家から野菜が届く。箱を開ける。そしたら、「ありがとうございます」の手紙。

この僅か数秒の手間があるだけで、同じ野菜でも受け取った側の気持ちは雲泥の差。この手間が消費者の受贈的人格を発動させる。消費者の健全な負債感はやがてリピートや口コミとなる受贈的人格を育む。 

ぽけまるでは、生産者の皆さんは、自分は売ってないというそうで、お客さんが売っているんですよというそうです。

消費者が払った以上のものを受け止めた気持ちになって、また買おうとなり、顔の見えないもの同士の関係から「手間」をつうじて繋がる。

ある事例では、ぽけまるで青森のリンゴを購入する新潟のお母さん(マーケティングの仕事しているが、会社ではやりがいがない)が、青森の生産者にマーケティング手法を無償で教える。

その原動力は、受贈的人格であり、都市に住むお母さんの得意なマーケティングのスキルが、お母さんがリンゴが大好きであるということを通じて、青森で役に立つ。

金銭的な対価は発生していないが、お母さんにやりがいを与え、リンゴが売れてうれしいという希望というインビジブルな対価を与えている。

都市と地方の両方でリソースを使う事例。

こうした繋がりをみんなで取り戻していこう!

○大生奉還:「生」を取り戻す

我々は1954年の集団疎開から突き進んで、未だにその延長戦をしているようです。

・悪魔のひき臼

カール・ポランニー(1886~1964年)は、著書『大転換―市場社会の形成と崩壊』の中で、市場経済を「悪魔のひき臼」にたとえています。

ポランニーは、市場経済によって人間が蹂躙される状況を「悪魔の碾き臼」という例えで表現しています。市場が社会から切り離されるとき、すべては市場の要求に従属することになり、市場は悪魔の挽き臼となり社会は使い潰される、と述べています。

ポランニーは、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの言葉を借りて「悪魔のひき臼」という言葉を使用していますが、ブレイクは、産業革命という技術の発展過程がもつ文化に対する破壊性を、ロゴスの力で生命を粉々にする「悪魔のひき臼」に例えています。

これは我々が人として営んでいくなかでのあらゆるものが挽き臼の中に飲み込まれていき、商品・サービスとなっていく様を言っているのだとしたら、我々が本来持っていた「受贈的人格」もこの数十年で悪魔の挽き臼によって、商品化されてしまったのかもしれません。

あらゆるものが価値ではなく値段で計測化されていくなかで、そろそろ軌道修正を図らなければならないのではないだろうか。

・社会的自発性を!

日本は久しく課題先進国と言われてきました。

社会課題を成長のエンジンにしなければなりません。

人々の社会的自発性を国・市場経済が吸収していきました。

戦後の物質的な欠乏を解消するためには合理的手段であったのでしょう。

高橋さんは「みんな、観客席からグラウンドに出ようぜ!」といいました。

自分が人生の当事者です。

一人一人が表現する

知恵のある人は知恵を出し、歌が上手い人は歌を歌い、その結果、みんなが主体的になり、本当の意味で「生」を取り戻すんじゃないか。

みんな、手が汚れないように、消費者という観客席にとどまっていないか?

観客席でぬくぬくしている背中を子供たちに見せて良いのか?

やらされ仕事をしている背中を見せて良いのか?

日本は自殺する未成年が多い。

これは大人たちの背中を若者がみて、希望が持てない社会だからなのではないか。

みんな、観客席からグラウンドにでて「生」を取り戻そう。

明治は「大政奉還」

令和は「大生奉還」だ!

そうです。静かなる革命です。マジ革命!

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