魂と蛍



帰省する先もなく、お盆だからと言って特に行事もない我が家には、ただの連休。
ただ、ニュースなどを見て「お盆かぁ~」と思うぐらい。

迎え火に送り火とか、ナスやキュウリの馬や牛なんかも、現実としては知らない。亡くなった祖母は、やっていたのかもしれないけど、幼すぎてほぼ記憶にない。回り灯篭だけがうっすらと記憶にある。水色の提灯に綺麗な絵が描いてあって、くるくると影を連れて動いてた。確か、お坊さんが来た時だけ回してた。(笑)

この時期、魂がどうーのこーのという話題によく触れる。非現実的なのに、日本人にはどこかでそういう感覚が残ってるんだろうなって。
実体のないものって、想像の余地が多すぎて良し悪しだと思うけど。
そういえば、人魂って言葉は、最近トンと聞かなくなった。

魂ってふわふわと飛ぶ?舞う?ものだと考えられてるみたい。蛍にたとえられてたな…と、思い出した。

もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる 和泉式部

訪れなくなった男がいて云々…って歌で、お盆には一切関係ないけど。詠んだ場所が貴船で。貴船神社って…と、ちょっと怖いイメージを持ってた歌。

このふわふわ感が気持ち悪くて不完全燃焼なので、少し調べてみた。
鉄輪(かなわ)っていう能の舞台が貴船神社になってた。この演目は見たことがある。
丑の刻参りのような話と嫉妬に狂う女が鬼になって成敗される?というような話。頭にろうそく三本立てて、般若のようなお面被ってて…。こわっ。
和泉式部の頃に、この話はなかったにしても、なんとなく彼女なら…って思っちゃうところ。

蛍は、数度見たことあるけど、あの飛んでいるというよりは、あるかないかの風に任せて漂ってるって言う感じで、なんとも捉えどころのない頼りない感じ。光が点滅しているのも儚い感じがあるんだろうな。蛍自身は、そんなつもりは、当然ないんだろうけど。

ほぼ真っ暗がりじゃないと見えないような光だから、今の時代ささっと見るのは難しいんだろうな。保護とかされてるみたい。だけど、幼虫が結構エグイ。肉食だし…。

で、和泉式部の上の歌には、神様からってことで返歌があったりする。

奥山にたぎりて落つる滝つ瀬のたまちるばかりものなおもひそ

あんまり思い悩むなよ…ってことかな?思い悩むと鉄輪になっちゃうもんね。

今の時代、思いに耽っても、蛍の生息する場所ヘは簡単に行けないから、蛍に遭遇することも少ない。体から離れて出ていった魂はどうなるんだろ。


もの思へど沢も蛍もあてどなく出でさまよひて魂は消ゆるか 苧環


蛍って言うと…
光源氏が沢山の蛍を集めて、悪戯に使ってたことを思い出した。夜の明かりに乏しい時代だから可能な悪戯。あそこの場面にも深い意味が色々あるのか?とふと思ったり。




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