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らしさの武装と嗅覚 8


勝手なことするなよな。

俺の声なんかまるで聞えていないかのように、加納は素知らぬフリして、ムシャムシャとホットサンドを食べている。

ちょっと付き合え、と加納を早めのランチに外へ連れ出したのは、俺だ。奢りだっ!奢りだっ!と、スキップしながら後をついてくる。社から少し離れた路地裏にある小さな店。2人ともオススメにあったホットサンドを頼んだ。違うのにすればシェアできたのにっ!と加納は向かいで頬を膨らませた。相変わらずのやつだ…

あのなぁ、お前分かってるのか?自分のやったこと。

今度はホットサンドで頬を膨らませている加納に、少しきつめに言ってやった。目だけを大きく見開いて、は?という表情をするだけで、どうして今日、こんなところまで連れ出される羽目になったのか、その意味をまったく分かっていない様子。

退職願を直属の上司じゃないとこに持っていく馬鹿がどこにいる?声を潜めて言う俺に、ここにいる、左の人差し指で自分の鼻を押さえてやがる。どこまでスカす気だ、こいつ。


・・・・・・・

2日ほど前、加納が退職願をマネージャーに持って行ったらしい。らしいと言うのも、上司も俺も全くの寝耳に水の話で、昨日マネージャーに言われるまで知らなかったからだ。唖然ってこういうことを言うんですね…なんてことを上司に言って苦笑いされた。

困りましたね。そんなことマネージャーに言われるまでもない。俺はまだいい。上司の立場はどうなる。このまま受理してもいいんですが、お二人はご存じでしたか、とも聞かれた。いや、知っていたら止めてるって。

今辞められると困ります。上司の顔はマジだ。ではその方向で調整を。と上司に軽く一礼してマネージャーが消えた。短い言葉の中に当然のように含まれた非難と嘲笑を否応なく受け取らされる上司と俺。上司も結局は、結城頼んだぞ、と言って消えた。まぁそうだよな。分かってはいたが……。


・・・・・・・

俺には言えばいいだろう。

結城は私の上司じゃないじゃん。あんたの許可なんかいらないじゃん。

いや、相談するとかあるだろうが。

結城に相談して何か変わるの?色々面倒臭いから辞めるわ!って言えば満足? 理由を聞かれるのが面倒だから、マネージャーにしたんじゃん!結婚するってことにしたんじゃん!それで誰も何も文句言わないじゃん!誰も傷つかないじゃん!辞めちゃえば、そのあと結婚したかどうかなんて誰にも分かんないじゃん!もういいんだよ、全部。何かもうなの…

一気に喋った加納の目が真っ赤になってる。こいつの辞めたい理由は、察しが付く。たぶん…。

何もお前が辞めることないだろうが…と言いかけた俺を、加納がキッと雌の目で睨みつけてきた。こいつもこんな顔するんだ…と思っていると、じゃあ、結城が辞めるか?と吹っ掛けてきた。

いやいや、なんで俺が辞めんだよ。話がおかしくないか?

だろ?と言うと、皿の上のホットサンドをナフキンで器用に包み始めた。残りはデスクで食~べよ。鼻歌のように節をつけて呟くと、そのまま店を出て行ってしまった。

俺は、どうすればいいんだ?一応、加納から話を聞いてくるよう仰せつかって、この後上司とマネージャーに報告しなきゃならないんだが。本当のこと…加納のあの口ぶりだと俺の思ってることで、ほぼ間違いないはず。だが、それをそのまま報告するわけにはいかない。どうしたものか…。


・・・・・・・

結局、加納はマネージャーから呼び出しを食らった。そりゃそうだ。小さなやらかしを幾つかしているんだから、これは避けられない。俺も加納と一緒にミーティングルームに向かった。マネージャーには、あれ?君も?という顔をされたが、一礼だけして加納の横に当然のように座った。加納についてきてくれと言われたわけじゃない。1人だと絶対辞めると言い張るに違いないから、ストッパーとして一緒に行けと言う上司命令が出た。ただ上司に言われなくても、たぶん来た。妙なことを口走られたら、困るのは俺だ。

……ということで、加納さん。こういうのは、まず直属の上司に出してください。それと、退職願は一ヶ月前まで、とはなっていますが、加納さんの業務内容からみても、急に辞められてはちょっとね。困ります。加納さんが抜けた後のことも、考えないといけませんから……。

加納はというと、向かいから機械仕掛けのようにすらすらと温度の感じられない言葉を繰り出してくるマネージャーの唇の動きを眺めているだけ。

時期を先送りするのは、どうですか?

マネージャーの口角が少しだけ上がる。が、目は笑っていない。はぁ…考えてみます。加納がぼやけた応答をした。まぁここで、「はい」と即答すれば、思い付きで退職願なんか出して人騒がせな奴だってことになり、要注意のレッテルを張られかねない。かと言って、「嫌です」と言えば言ったで、もっと執拗にあれこれ社会人の最低限のマナーとやらを聞かされる時間が増えるだけだ。今のところ、こいつのこの返答は上出来だろう。

では、よく相談して、報告してください。

また報告だ…。そのあとはもう、もうすぐ出るボーナスの査定に響くだの、この話は自分の所で止めておくだの……マネージャーには珍しく通り一遍の小言を聞かされた。たっぷり一時間。ほぼ無言で隣に座っていただけだが、それなりに疲れた。

エレベーターホールで下降ボタンを押しながら、ケーキでも食いに行くか? と、加納に声を掛けてみた。ぶすっとしていた顔をあげて…やったぁっ!…といつものように喜ぶのかと思いきや、また例の雌の目で俺を睨んできた。こいつ、マジで怒ってる…。


・・・・・・・

たかが、23歳の小娘が会社を辞めるって言っただけじゃん。代わりなんていくらでもいるじゃん…。どうして、みんなで寄ってたかって…。もう私、全部面倒なんだよっ!

シャインマスカットのパフェを突きながら(もちろん俺の奢りだ)、一頻り文句を言う加納。俺はもうただ聞くしかない…。

確かにな。でも正直な話、今お前に辞められるとこっちが困る。せめて来年の春まで待ってくれ。なんとかするから。

何をどう何とかするんだ?俺は。だが、今の俺にはこれしか言えない。人事権なんて大それたものは持ってないし、何か手はないか?俺だっていつまでもこの会社にいるつもりはないが、今すぐ辞める気もない。だいたい、たった1回のキスごときで、どうしてこんなややこしい目に合うんだ?もう一年は経ってるんじゃないか?どれだけ執着すんだよ…。加納は、上目遣いに俺を睨みながら、パフェを貪り食ってる。食ってる時だけは大人しいんだよな…こいつ。さてと、何をどうしたものか。


・・・・・・・

次の週、俺と加納は、島を移動する権利を獲得した。
そう、一番手っ取り早くて簡単な方法。とりあえず、俺ら-俺と加納-と富岡さんを離せばいい。これで、加納も少しは落ちつくだろうし、当面はやり過ごせる。

島移動に関しては、マネージャーの許可さえ取れればいい。報告と言う名を借り、とにかく今加納に辞められると困ることを力説し、結婚直前までの引き留めには成功したと言った。ただし、退社の気持ちが完全になくなったわけでもなさそうなので、仕事も無理のない程度で、経過観察というかそういう意味も込めてマネージャーの近くに移してくれと懇願した。勿論、俺も一緒に。もう口から出まかせだ。マネージャーが俺の話を鵜呑みにしたとはとても思えないが、とにかく、それぐらいなら…ってことになった。ちょうどマネージャーの島の、それも奥の方に空きデスクが2個あったのもラッキーだった。
上司?、あぁ。小林さんには、ひとまず加納が残る方向性を探れとしか言われてないから、島を移動して様子見だと報告した。


・・・・・・・

これでどうよ?

新しいデスクに荷物を移しながら、加納に声を掛けてみたが、ふん と鼻で返事をしただけだ。まぁ、良いか。色々面倒だったけど、結果的にこの移動は俺にとっても有難い。今日からは、背後に不気味な気配を感じながら、デスクに座らなくて済む。後は、加納が今まで通り仕事をしてくれて、本当に辞めるつもりなのかを、確認するだけだ。こいつ、これで結構使えるから、俺が居る間は辞めないで貰いたいんだが、今はそんな贅沢も言ってられない。まぁ、それはもう少しほとぼりが冷めてからだ。でないと、また例の目で睨まれるだけで終わってしまう。




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