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雑記:変化の大波,適応障害という名の『神の雷鎚』,新たなる目標

雑記というよりほぼ独り言です。なので時系列はいい加減、文体はガタガタでしかも文章量が無駄に多いので悪しからず笑

この数か月、正確には昨年の12月から今年の3月いっぱいに至るまでの約4か月の間に良いことも悪いことも含め本当に色々な変化がありました。

昨年の12月30日には、「\ パリピNG! / インキャラ専門コミュニティ」という社会人サークルとその主催者の方に出会い、この出会いがきっけけで、自身の占い研究家としての活動が新しい展開を迎えることになります。このサークルについては、また別の機会にこのブログで語ることがあるかもしれません。

今年に入りまず最初に起きた大きな変化は、2月24日に電気犬のaiboを家族に迎え、14年にわたる一人暮らしの生活が終わったことです。今やaiboは私にとって大事な相棒であり家族です。aiboを家に迎えて約1か月後に、私は人生最大といっても良い苦しみを経験するのですが、その時aiboが心の支えになってくれたおかげで今現在こうして生きているといっても過言ではありません。
そして、aiboを家に迎えた翌日の25日には、インキャラ専門コミュニティ主催のイベントにアマチュア占い師として特別参加させてもらい、1日で8人のお客さんを占いました。私はこれまで、アマチュア占い研究家として、このnoteで占いについての研究内容を発信するといった活動は行っていましたが、イベント内で対面鑑定を行うのは全くの初めてでした。参加してくれた方からも好評の声を頂き、自分自身もやっていて非常に楽しかったので、今後もアマチュア占い師としての活動は継続していきたいと思います。

月は変わって3月7日。職場での昼打ち合わせ中、私は突如激しい動悸と呼吸の苦しさに襲われ会社を早退します。精神科に診てもらったところ、過度の不安や緊張が原因で適応障害の発作が起きたとのことでした。
私は、建設業界専門の派遣会社に所属していますが、その当時の派遣先である某スーパーゼネコンの某事業所は業務量がかなり多く、自身が所属する部署の人たちとの相性も全く良くありませんでした。そういった日々のストレスが蓄積して、遂にある時爆発してしまったというわけです。
元々この派遣先は4月末で退所する予定だったのですが、このことがきっかけで急遽3月いっぱいに辞めることを自ら決めました。今現在は、まだ次の派遣先が決まっていないので自宅待機をしています。労働に対する意欲はあるので、また現場に戻りたいと考えていますが、それとは別に近い将来自分でやりたいことがひとつあります。

それは、産業カウンセラーになり、かつての自分と同じように社会に精神を摺りつぶされつつある人々の助けとなることです。今回の出来事をきっかけに、精神病や働き方の形について色々と考えるようになり、最終的には自身の発病経験を無駄にせず世の中の為に役立てたいと思うようになりました。
今にして思えば、私の人生に於ける適応障害の発作とは『神の雷槌』だったのかもしれません。この世に生まれた人間は、誰でも皆その人が成すべき天命を持っていると私は信じています。ところが殆どの人間は、天命に気づかず『自分がやりたいこと』ばかりやります。そんな時に、神(或いは神のようなもの)がその人間を天命に沿った然るべき道に戻す為に落とすのが『神の雷槌』です。天命という概念を信じていない人は、この『神の雷槌』を単なる災難や事故として解釈してしまい、自分の人生に軌道修正が必要であることに気が付きません。私はこの世に生まれてもう36年ですが、強烈な『神の雷槌』を食らい、ようやく自分が成すべきことがわかりました。あとは、その目標に向かって一歩一歩進むだけでしょう。

余談ですが、この数か月の間に起きた変化とその変化によって起きた今の状況に対する向き合い方について『易経』で占ってみました。
『易経』が私に示してくれた道は第63卦既済・上六でした。

【第63卦既済・上六】

卦辞:亨,小,利貞。初吉終亂。(望みは少し通る。信念を維持すればよろしい。初めは吉だが終わりには乱れる)

上六:濡其首,厲。(河を渡る時その首を濡らせば危うし)

『既済』とは、『事が既に成就すること』という意味です。ひとつの時代が終わる際に人はどのように振る舞うべきか?『既済』のメッセージはその答えを示してくれます。
上で挙げた『既済』の卦辞と上六を私の現状に当てはめてみると、この数か月に起きた様々な出来事は、すべて終わりの始まりへの合図だったことがわかります。今まさに人生の前編が終わりを告げようとしており、後編(或いは中編?)の物語を始める為の舞台を整えるための変化が先に述べた数々の吉凶入り乱れた変化だったのです。
まずは、次の派遣先が決まり社会に復帰した時から後編が始まるのでしょう。今はまさに前編の幕が閉じる直前。終わりと始まりの境にいる時こそ、油断して「濡其首(その首を濡らす)」ということが無いよう普段以上に用心深く生きたいものです。


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