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祖父の入学祝


#海での時間

母方の祖父は九州の海の近くに住んでいて、釣りが好きだ。小さいころから夏休みに帰省するたびに海に連れて行ってもらった。海水浴と釣りがセットだった。観光船に乗って、島の海水浴場と釣り場に行くのだ。

小学生になる年に、祖父は入学祝として子供用の釣竿を買ってくれた。青色から黄色のグラデーションがとても綺麗な釣竿で、竿そのものが熱帯魚のようだった。

それから6年間、夏が来るたびにこの釣竿にお世話になった。基本的には竿の先にかごをつけ、かごに餌を詰めてぶん投げる方法でアジを釣っていた(今、気になって調べたらかご釣りとそのまんまな名前だった)。糸には餌のアミエビに似せた針がいくつかついていて、よく釣れるときにはいっぺんに4匹くらいかかっていた。ぶん投げてからしばらく待つと、魚が針にかかってぴくぴくするのが手に持った竿に伝わってくる。その瞬間全力でリールを巻く。これが楽しかった。

高学年になるにつれて、いかに遠くにかごをぶん投げられるかを考えていた。振りかぶって後ろに一度竿を下げて、前に向かって投げるとき、リールの糸止めをどこで外すかが大切だというのは小学生ながらに何となく学んだ。高校生になって物理学の勉強をしたときに妙に納得した。一度、かご釣りではなく糸の先に一つだけ針をつけ、針にオキアミをつける方法で釣りをしたことがある。その時は奇跡的にメバルが釣れた。その年小学校に来ていた教育実習生の先生にその話をしたら、ある日の体育の授業の後、道具箱にメバルの魚拓をプリントしたものが入っていて笑ってしまった。教育実習生だった先生は元気かな。

中学生になると、祖父は大きな釣竿を買ってくれた。シルバーグレーの渋い色の釣竿。正直、色に関して言えば小学校の釣竿のほうが好きだけど、長くなった分遠くまで投げられるようになって楽しかった。中学生になったからといって大きな魚を釣るわけではなく、ずっと小アジを釣っていた。自分で釣った魚はおいしい。私はあまり生魚が得意ではないが、鯵や鰹は生で食べられる。鯵は夏にこちらで食べて美味しかったからだ。祖母は料理が非常に上手だったとは母の談。大学生の時に亡くなってしまったのでもう食べられないのが残念。今のほうが食べられるものが増えたので色々食べたかったと後悔している。遺品の中に包丁セットがあり、父が持って帰ってきた。柳葉包丁をみて妙にテンションが上がっていたのを覚えている。

当時は私は釣った魚をなぜか自分で触れず、クーラーボックスの近くで祖母と待機している妹のところに戦利品をぶら下げていき、魚を外して新しい餌をセットしてもらっていた。妹は撒き餌と餌を詰めるほうが楽しかったらしい。ちなみに妹も入学祝に釣竿を買ってもらっていた。最初何回か海に糸を垂らしてあとは私のアシスト?をしてくれていた。妹のすごいところは鯵の腹を素手でむんずとつかんでクーラーボックスに放り込めるところである。どんなに魚がバタバタしていても気にしない。おかげで帰る頃には、妹の服は鱗できらめいていた。

釣りの話を懐かしくなってすると「姉ちゃんは魚触れないじゃん」といまだに言われる。最近は触れるようになった気がする。高校の生物学の実習以来、触れるものの範囲が広がった気がするけどそれはまた別の話。帰省期間が短くなり、釣りに行くことがなくなってしまったため実際はわからない。祖父は年を取ってバイクの運転免許を返納し、それとともに自分の釣りグッズは処分してしまったらしい。私と妹の釣竿はまだあるかわからないけど、また一緒に釣りに行けたらよいと思う。


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