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ナードメンタルカマクラ④ 由比ヶ浜~鎌倉

由比ヶ浜駅で降車して、鎌倉へ向かう短い電車をホームで見送って、無人の改札口を通り抜けた。
思ったより海から遠い宅地のなかに駅はあった。
西に行けば鎌倉文学館や長谷寺の方へ、南に下がれば海岸の方へゆける。
夕方になって肌寒さを感じたから、腰に巻いていたジャケットを羽織った。

イヤホンからは、長谷サンズでの意気込み(③を参照)をしっとり包み込むような、強ばった肩をじんわりほぐしてくれるような音が流れてきた。
その心地よさに思わず脱力してしまう。いいフレーズ。

由比ヶ浜や長谷の辺りでは、旅館になっている立派な建物や、雑貨屋さんや牛乳やさんを営むかわいい建物、藤の花に占拠された建物を見た。

大学生になっていつの間にか、旅行先でも、住宅地やスーパーや地元密着の飲食店をチェックするようになった。家々の様子や庭に植わった植物を見たり、スーパーの生鮮食品のラインナップから土地柄を感じたり、そういうことが好きになった。その土地の人々の生活の軌跡を見たい。

隙間だらけの小さな心に
無理に流し込んだのは
他愛もないこと
目的は別にないよ
空に何度も弧を描くトビ
ASIAN KUNG-FU GENERATION「由比ヶ浜カイト」

旅行先にまで日常の風景を求めるのは、非日常を経験するという旅行の目的とは矛盾しているような気もする。それでもその土地の人々の生活の様子を見たいと思うのは、自分をメインプレーヤーから外した世界を見たいからなのかもしれない。

例えば、大乱闘スマッシュブラザーズをプレイしている場面を想像してほしい。自分がどんな能力を持つか、どのボタンで技をだすのか、よく知らない間に戦闘開始のカウントが始まる。敵キャラが近付いてきたら、Aボタンを連打してとりあえず戦う日々が続く。
あるとき、戦闘に巻き込まれない画面の端で、一つずつボタンを押して技を確かめてみると、エフェクトが綺麗だとか、こういうタイミングに適しているだとか、新たな気付きが得られる。切迫した現実から距離をおくことで、はじめて分かることがある。

自分を知るなんて大袈裟な話になってしまったが、旅行にもそういう効果があると思っている。知らない土地を訪れると、透明人間になって土地の人々の観察に徹することができる。よそ者として関係者席から身を引くことで、いい意味でその土地に翻弄され、それに対する反応をもって、新たな自分と向き合える。

そんなことを、由比ヶ浜の砂浜に座って、
「サーフブンガクカマクラ」を頭から聞き直しながら考えていた。
日没を見守っている間に、
ベールをかぶった花嫁とその花婿と写真係の三人組と、
身長の半分もある大きくてもさもさした犬を散歩させる女性と、
その大型犬に果敢に吠えかかるチワワと飼い主の二人組を見かけた。
後ろを振り返ると、ふたりの若い女の子がおれと同じように砂浜に腰を下ろして海を眺めていた。

コーヒーを飲みながらはとサブレをかじっていたが、気を抜いた瞬間にはとサブレはトンビにさらわれてしまった。
悲鳴をあげてしまって浜辺の人々の注目を集めた。
この土地も自分をカッコつけさせてはくれないようだ。
水だしコーヒーを頼んだのも、風の強い夕暮れ時の海には寒すぎた。

ホステルにチェックインを済まし、荷物をおいて鎌倉へ向かった。
観光客の姿はなくなり、お勤め帰りの人々が飲み屋に向かったり、スーパーで値引きのお総菜を狙ったりしていた。小町通りもシャッターが下りていて、生活者のための鎌倉に姿を変えていた。

こんな日々がつづくような日和でもさ
今日は終わるんだよ
それでも君が笑うように笑うように
夜が来たよ
さよなら旅の人
ASIAN KUNG-FU GENERATION「鎌倉グッドバイ」

鎌倉の人々にとっては、次に日が昇れば今日の鎌倉は続いてゆくけれど、
おれは明日はまた東京に向かって旅行の続きをするのだ。
今日はもうこれだけしか残っていない。
今日は終わる。

今日に対する熱量がひとりだけ違うんだなと思いながら、
家路を急ぐ鎌倉の人々とすれ違って歩くと、
ひとりだけパラレルワールドの住人のような気分になった。
月からの迎えを待つかぐや姫でもいい、
12時の訪れを疎ましく思うシンデレラでもいい。
そんな特別な、ここちよい孤独だった。

駅から少し離れた中華やさんで醤油ラーメンを頼み、10分くらいで食べ終えて店を出た。
「旅人には体力が必要だ」なんてふざけては、
もうだいぶぼんやりとした目を擦り、
コンビニで買ったで野菜ジュースを飲みつつ、
ベッドで眠る気持ちよさを想像しつつ、

今日最後の江ノ電に乗り込んだ。

関西から出たことのない自分にとって、
湘南の海や江ノ電は(文字通り)遠い存在だった。
遠い上に、入り込む隙もないと思っていた。
日光に当たるとしんどくなるし、泳げないし、
内向的でオタク気質のナードメンタルの自分には、
湘南の海を楽しむ余地はないと思っていた。

でもまあ、そんなはずはない。
ライブでのってもいいし、腕組で聞いてもいいのと同様に、
海の楽しみ方は根本的に本質的に自由である。

MV撮影に使う景色のパネルのように、
表層に張り付いていた「湘南の海」のイメージを
いい具合に破壊してくれたのが
「サーフブンガクカマクラ」であり今回の旅だった。

ゴッチが考えたことをそのまま知った訳じゃないし、
それは目指して旅行をしたわけではないけれど、
江ノ電沿線に込められた感情の緩急に沿って、
一日かけて色々なことを考える機会になった。
かなり思い入れの強い場所にもなった。

生まれ育ったニュータウン、大学生活を過ごした京都、
3番目の居心地のよい土地として、
次は誰かと来たいとおもう。

そのときは、サードテンゴクカマクラで。

(おわり)

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