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学者でもないのに世界のことが気になる

私は関西で働くサラリーマン。26歳。大卒。一人暮らし。配偶者無し。

学者でもないのに、世界のことが気になる。

平日は1日の半分を労働している。帰ったら寝ている。
休日は、学者でもないのに、世界のことを知ろうとしている。

まず、本を読む。社会学を中心に、社会科学の目線からいろんなことに迫る本。
あとは人と喋る。結構、そういう、概念的なことを。
街歩きもする。歴史をたどったり、産業遺産を見たり。ブラタモリを気取って。

なぜだろう。他にもっとやるべきことがあるような気がする。
あと、そんなことしなくてもいい気もする。学者でもないんだから。

なぜなんだろう。

ふつうに「面白そう!知りたい!」と気持ちを満たしてる?

普段生きていて「なにこれ?」と思ったことの答え合わせをしてる?

苦しみを癒している?

明確なリサーチクエスチョンがないから、学者をしていないんだと思う。

疑問はないけど、知りたいことがある、この世のすべてを知りたい。知ってどうするとかのビジョンはない。ただ知って「へ~~」と言いたい。面白くてたまらないから。

社会病理が気になる。人間のことをかなり性悪説的に考えている。差別をする。戦う。他人を蹴落とす。既得権益を守る。その歴史を知って「ああ、やっぱりか」と納得しているのが一つ。

でも、昔のことをたどるばかりではない。現実に起きている社会問題のことも考える。最近だったら「推しとはどういう意味を持つのか?」「そこに人間のどんな欲望が隠されているのか?」「みんなが互いに適度にすみ分けしながらゆるくつながって、幸せに生きていくにはどうしたらいいのか」

幸せについて本気出して考えてみた人の、本気を見たいのかもしれない。
ひとつには哲学の概念。ニュータウン建設に込められた思い。現実に興味がある。意外と歴史そのものや文学そのものに興味はない。

結論は出てないけど、自分にとって「知る」ことの意味を考えたくなった今日このごろである。

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