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69小品目 宝塚について語る

宝塚宙組の初日が始まった。インスタを見ていると初日の様子が流れてきて、ひやっとした気持ちになり、スマホの電源を慌ててオフにした。


見ていられなかったのだ。そして自分が宝塚ファンとして、とても傷ついていることに気づいた。宙組生の自死のことで、初日に献花もなく、誰もそのことに触れなかったとあり、もう宙組は見られないと思った。


この件に関して、攻撃的な人がいる。擁護をする人がいる。いろんな人いていいと思う。わたしはみんなで彼女の死を悼み、冥福を祈りたい。ほんとうはあってはならないことだったのだ。そしてこれからも決してあってはならないのだ。彼女はタカラジェンヌとして輝き、卒業後も長い人生を全うすることができたのだから。


宙組だけが悪いわけではないのかもしれない。宝塚全体の歪みがピンポイントで現れたのかもしれない。でも起きたことは起こってはならないことだった。


現トップは長い長い二番手期間を経て、トップになられた。わたしもお祝いしたくて、チケットを取っていた。そのお祝いしたいという気持ちはぐしゃぐしゃに潰されてしまった。その後の対応でさらに踏みつけられてしまった。


いつかわたしはこの傷ついた気持ちは忘れてしまうだろう。人は忘れてしまうものだから。そしてそこで必ず同じ悲劇が繰り返される。そうなるまでにたくさんの被害者を生みだしながら、ショーは続いていく。わたしたちはその恐れを抱きながら、心の底から宝塚を楽しんで見られるのだろうか?


もしかして次のトップ候補のあの優しい人が、どこかでコメントしてくれるのではないかと期待したりしている。でもそんな勝手なものを背負わせてはいけないとも感じる。そしてあの人は組替えがないかぎり、とんでもないものを背負わされてトップにならなくてはいけないのだ、とも思う。


わたしは死んではならなかったタカラジェンヌの死を悲しみたい。宝塚歌劇団と、タカラジェンヌのみなさんと宝塚ファンのみんなと思い切り悲しみたいのだ。なかったことにされてしまったら、明るい未来なんて、来てくれないのだから。こんなことみんなと一緒にじゃないと乗り越えられないのだから。

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