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56小品目 悪は存在しないを観た

産後、2年と2ヶ月ぶりに映画を観た。田舎と自然と都会から来た人たちの映画と聞いて、ピンときたもんで。あとタイトルも良かった。



昔、十三の第七藝術劇場で観た竹原ピストルさんの出ていた映画を思い出した。海とか炭とかタイトルについた群像劇の映画。これは群像劇ではないけれど。退屈なようでいてあっという間に時間が過ぎていく感じが体験としてそっくりだった。特に誰にも思い入れしないままに、こころを打たれるわけでもなく、でも興味深く見ている、という。



すごく馬鹿な感想なのだけど、自然はいいな、と言っている映画じゃないにも関わらず、自然ていいなと思ってしまった。特にわたしは5月のカラフルな自然が好きで、冬景色の面白みが今まで分からなかったけど、このカメラを通じて今年からは楽しませてもらえそうだ。こう見たらいいんだよ、と教えてもらえたのが良かった。いままで将棋の打ち方がわからなかったけど、教えてもらった、みたいな。




あと、善悪と好き嫌いについて。それはどちらも自分基準の価値で。善きもので好きなもの、嫌いなもの。悪しきもので好きなものと嫌いなもの。その4つがあるとして、善きもので嫌いなものに対していままでしっくり来ていなかったのだけど(例えばなにかを信仰していてキラキラしている人は善きものだと思うけど、どうも苦手だと感じて、なんだったらちょっと馬鹿にしてしまう自分がいて、その自分も含めてしっくりこない感じ)それは結局、全面的に自分の問題だな、と思った。



そしてこの映画でいうと、わたしは芸能プロダクションのオレンジのダウンの男の人と金髪の男の人をおなじくらい苦手で、芸能プロダクションの社長と経営コンサルタントの人はそこまででもないけど、みんなはどうだったんだろうなというとこがある。



これは映画というより、森を歩く場面が多くて、それを見ているうちに自分の中から出てきたのは、わたしって知らないことばかりだし、分からないことばかりだけど、まあ、それでいいね、という気持ち、だった。それからわたしはこの先、騒がなければ大丈夫だと安心した。ちなみに騒いでも大丈夫、この先色々あるだろうけど、やっていけると確信した。前のめりすぎるのでもう少し、ゆっくりていねいに確認しながらやっていこう。頭や気持ちを騒ぎすぎなくて、体をたくさん動かそう。こんな森がわたしにも欲しい。心に森を持ちましょう。



最後に、ちょっとあれだな、と思うの2点。あんまりシーンに意味深そうなものを込められると疲れちゃうなと思ったこと。このシーンは後のあのシーンに繋がるぜ〜、みたいなのが多いや、と思いました。その割に繋がった時にスパーキングしないので。まあ、これも好みの問題だ。ヤカンが沸騰するとか、物忘れが多いとか、帽子を脱ぐとか、あんまり意味深げだと疲れちゃう。見る方も伏線に取り憑かれちゃうので、あんまり伏線はこってりしないで欲しい。それと村の男の人ふたりが兄弟のように似ていてごちゃついたので、もうちょっと違うキャラにしてくれやい、と思ったのだった。

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