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71小品目 名乗りをあげる

わたしはミドルフォーティーであり、立派なおばちゃんだ。正々堂々と日々、おばちゃんを名乗っている。

そうすると、

そんなそんな

まだ若いですし

などと、謎の気遣いでおばちゃん名乗りを回避されることがある。たまに居心地悪そうにされる時もある。もちろんそんな時はそれ以上は強制しない。


でも、わたしは嬉しいのだ。おばちゃんになれて嬉しいのだ。これから20年ほどだろうか、おばあちゃんになるまで、どんどんおばちゃんを名乗っていきたいのだ。



わたしは若い頃から、面白かったし、ウイットに富んだ会話を好んだ。でも若い女とそうしたことをしてくれるのは、同じ若い女だけだった。ごくごく一部の男と年上の人たちだけに通じだが、ほとんどの人類は若い女との楽しい会話を求めていなかった。



若い女に力はなく、力のある人から、話の聞き役を求められた。特に男性からは、

そうなんですね〜
すごい〜

などと感嘆符を無言で求められた。年上の女性からは、

わたしなんて全然です〜
〇〇さんの方がすごいです〜

と謙遜の言葉を自然と求められた。空気を読むことが全方向から求められた。でもわたしはわたしの時間をこの人たちのためでなく、自分のために楽しく過ごしたかったので、面白いことを言ったりしたりしていたら、お笑いの人みたいなポジションになれてそこそこ楽だった。しかし時折、

そんなんだと、モテないよ

と言われた。ひどいときは、

大柄で強そうだから、ちょっとしおらしいくらいがギャップモテするんじゃない

とくだらないアドバイスまでもらった。また、しょうもない男性からは、

君は俺のことすごいってあんまり言わないね

と言われたこともある。男性のすごいところは私の感受性では見いだせなかった。ほんと、しょうもなかったけど、しょうもないくせに、女の子は大人しくすごいすごい言うもんだと説教されたのだった。言い過ぎだったらすまん、かつてのしょうもない男性よ。


でもおばさんになった今、大人しくなんてしなくて良いのだった。もうモテなくてもホメられなくても自分の基準で自由に楽しく暴れていい。喋りたいことを喋って、やりたいことをやればいい。子育てしながら、起業だってしちゃう。子供連れでどこだって行っちゃう。


そして今の若い人たちは、もうそれができ始めている。わたしたちみたいにタテマエの愛嬌や愛想の鎧なんて重いものは脱ぎ捨てている。今の若い女性はほんとうは力に溢れていて、それを押さえつけようとしたり嫉妬したりする人がいても、キラキラで跳ね返してしまう。



わたしも若い時からそれに気づけていたら、とも思うけど、でもまあ各々のタイミングで始められたらそれでいい。でもさー、ちょっと損したって思わないことはないよねぇ。どれだけつまらない飲み会や時間を過ごさなきゃいけなかったかって、そこで傷つくようなことを言われなきゃいけなかったかって、なのに怒らず(カリカリしないほうがいいとか、またクソミソなアドバイスをもらうことになる)にへらへらしなきゃいけなかったって。わたしはわたしのために怒るべきだった場面はいまだにいくつも思い出せる。


よく考えたら、わたしたちの産まれてすぐぐらいには、シンディ・ローパーが、

女の子は楽しみたいの!

太陽の下を歩きたいの!

て軽やかに歌ってくれてたんだった。この素晴らしいメッセージに早くから気づけていたらさー。取り戻すようにおばはんはこれからやりまっせー。もー、やってるけど。

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