見出し画像

針葉樹の燃え方に近い

穏やかな性格を自称してはいるが、喧嘩を売るし買う。正義感というとちょっと違うんだけれども、許せないとかおもう沸点が多分低い。
面倒になるのを避けたい気持ちがあるくせに変に勇敢というか、後先を考える力がないのは特性ともいえる。
頭の回転は悪くはないけど思い込みもある。ただ軌道を修正する力がかなりあるので喧嘩が得意だ。
たまに相手を殴っているつもりが、うっかり自分を殴っていることに気づく。あんまりダメージを与えたいとかではない動機でやっているので、そのあたりはあまり気にしていなくて、帰着点が見つかるまで相手が飽きていても一人でやる。
こう書くと迷惑だな。

喧嘩をしない人にとってはそもそも喧嘩って何よ、というレベルからだと思う。
最初は「どうしてなんだろうな」くらいの火種に、「えっこれってそういう考えなの?」みたいな見過ごせなさが加わってくるとわたしはどうしての炎が燃え盛り始めてしまう。
考えている間はその瞬間のことしか考えていないので関係性が壊れるとかの予備の布石はない。今を生きる女と呼んでほしい。


今は穏やかに、パッションフルーツ四季春というフルーツの香りのする台湾の緑茶を飲んでいるんだけれども、こういうのんびりした時間のわたしのこともすごく好きだ。

パッションフルーツと緑茶のコンビは、一見やばそうだけれども、ピーチティー並みの相性の良さでそこに元からいましたという顔で香る。わたしの中で最高の賛辞は「友達みんなに試して欲しい」なんだけれども、この緑茶はそれだ。

さてこんなのんびりとしたひとときを、のんびりとは何で構成されているのか真剣に考える時間も大好きだ。
そうやって、自分の役に立つのか立たないのかよくわからない、自分について考え込む時間もわたしは譲れないと思っているからだ。これは喧嘩をしている時と同じ探究心の炎を、静かに燃やしている感覚と近い。

結局のところ、わたしはとにかく今この瞬間だけを生きていて、この瞬間のためのあらゆる工夫をしている。
わたしのこの一瞬に巻き込まれるのが楽しい人だけが周りにいるんだと思うと申し訳ない気持ちと感謝とが押し寄せてくる。

#私は私のここがすき

この記事が参加している募集

#私は私のここがすき

15,742件