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八寸のようなものを作って過ごす. 友がたのしめれば良いのである.

台湾でカラスミを食べながら考えていたのだけど,私は「へしこ」とか「ばくらい」とか「うるか」とか「このわた」とかそういうものばかりを私は好んで食べている.そして,私が作っているものは大抵文脈と珍味が必要なものがほとんどである.原理のゲームはそれが原理のゲームであるという文脈が必要でもある.(ゆえにポートフォリオが分散しているように見える→理解できるのは友だけ,ということになる.友よ,デジタルネイチャーは映像と物質の中間地点,質量への憧憬から至るコンヴィヴィアルなマタギドライヴはコミュニティだ.そして喜びの共有だ)

八寸の歴史を振り返れば利休の名前が出てくるが文脈と味が共有できる共と過ごすためのものを喜びあって過ごすことが一番なのだと思う.そのジャンルは多層化すると友も増えるし理解への補助輪もよく動くようになる.

八寸と牛丼やハンバーガーやカレーは違う.私は八寸を目指しているのである.すきやばし次郎を目指しているわけではない.鮎やうなぎの頂点を狙っていない,時間と空間をもって変容し偏在する八寸の物化の中に自然の普遍性や自然の普遍性の変遷の冥利を体得する喜びを共と共有するために生きるのである.

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

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