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近頃の自分の標準レンズ:Konica HEXANON (L) 60mm F1.2 / #レンズとのダイアローグ

標準レンズ論争というのは神学論争であって沼の住人以外にはなかなかに意味を持たないものである.そしてさまざまな沼におけるそれぞれの神学論争もまた,異なる結論に辿り着く.しかし,一つ明確に言えることがある.レンズの沼の奥底に光は届かず,光が射すのはスペックで語られる浅瀬の領域のみ.沼の奥底で展開されるは,人心そのもののであり,そこで論じられるのは光を写すレンズではなく,レンズと共に語られる心の形なのである.


私はそこで気がついたのだ.レンズはなくとも写真であり,ピントは合わずとも写真である.宗教性を恐れるな.道徳や規範に逃げるなということを.だから私はM型に殉じ,写真の中に写真を忘れる.撮るという行為を通じて撮るという行為を捨てゆくのだ.結果は意味を持たない.行為もまた同じ.M型をぶら下げシャッターを切る.写真など見ない.だが撮り続けるのだ!

M型無頼漢の自叙伝

M型無頼漢はそうやって無頼漢になっていったのですね.落合は50ミリが好きな人類なので,かなりの量の50ミリを使い分けているのですが,オールド系と標準系で標準レンズを考えています.

オールド系のとき:Noctilux 50mm F1.2 Original

問題は現世のレンズの話なのである.
Noctilux 50mm F0.95とか普通のNoctilux 50mm F1.2とかアポズミとかキノプラとか色々ある中で,何を選ぶのがいいだろう.

パパ,ピント面の周りがパープルフリンジだらけだよ?
それは0.95/50mmノクチのせいさ

M型無頼漢と息子の対話

真にM型無頼漢に到達することができるならば,パープルフリンジと共に生き,パープルフリンジに怒り,そしてパープルフリンジを忘れることができるのである.しかしなかなかに人は現世に囚われてしまうから,都合のいい標準レンズを求めるのである.

ノクチと並ぶ60mm F1.2 Hexanon

落合がM型の標準レンズとして最近推すのは60mm F1.2のヘキサノンである(現代バージョン: Konica  HEXANON (L) 60mm F1.2)

よくぼける.そしてコントラストもシャープさもバッチリ,パープルフリンジもそんなにない

問題はブライトフレームよりちょっと内側がうつることだが,そんなことはM型無頼漢ともなれば気にならない.もとよりビューファインダーが高性能化してきて,このレンズの使い心地が増したと考えられる.

逆光に強く,ピント面も開放からシャープだ.
もちろんボケの異様さも抜群
空気感の良いレンズである

軽いのがいい.そして,写りのトータルバランスが現代ノクチを超えていっている感も良い.60mmとしたことの福音がここに現れている.早くライカは50mmのノクチをアップデートすべきである.もしくはニコンはこの隙に50mm F0.95をFマウントで出してしまえ.誰だ現行ノクチのこと「ムラサキタマネギ」って呼んだやつ,座布団やるぞ.

といいつつ今回はKonica  HEXANON (L) 60mm F1.2の話を

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

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