パラレルワールドのオリンピックの閉会式が終わった.
パラレルワールドの2020年のオリンピックの閉会式が終わったことをデジハリの杉山学長のポストで知る.妻と話しているときにGoogleマップを見ていたら,Googleマップはまだパラレルワールドの中にいるようだった.
もしもの2020年がすごい勢いで過ぎ去っていくのを感じている.もしオリンピックがあったとして,この感じで過ぎてしまうイベントだったということだろうか.
データの自然の中ではいくつもの可能性が保存されているんだなぁと思いながら,そういった精緻な自然の中から選び取った可能性を生きていることに感謝しながら,バグを愛らしく眺めている夏だ.
夏のこの感じが,浪人生だったときの夏に似ている.大学入る前の1年間浪人していたとき,突然空いた人生の空白期間に近い感じ.もちろん,当時も今もやることがあることは変わらないけれど,当時は自分自身に降って湧いた空白期間で,今はむしろ世間の方が空白期間になりつつあるように感じている.彼我の差はあれど,こういう空白に何を持ってくるかが人生の真価だろう.僕は浪人中はずっと音楽を作っていたのを覚えている.オーディオインターフェースにギターをかき鳴らし,毎日曲を作っていた.
朝,社会と接続するために予備校に行き,昼はサボって帰ってきて鮎を焼いて,漬物を刻み,17時には風呂にはいり,夕暮れどきの夏の匂いの中で作曲しながら,岩波文庫をかたっぱしから読書をする.夜は眠くなったら寝る.結びつかないものを結びつけながら過ぎていく18歳の夏.おかげで大学に入った後は,相変わらず読書しながらプログラミングと研究と表現をしている生活を続けていくようになった.興味がないことをしても続かないし,自然にできることしかアウトプットできない.
自分が社会から外れることを経験する時間は大切だと思うけれど,社会が慣習から外れていくことを経験している今の風景をどうやって受け止めて,自然と馴染んでいくにはどうしたらいいのだろうか.そんなことを考えながら今日も車窓を眺めている.社会から歩幅がずれていくのではなくて,新常態の歩幅が社会の歩幅とずれながら平衡点を探っていく風景に様々な人と人の対立やら,停滞を眺めながら.
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落合陽一の見ている風景と考えていること
落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…
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