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科学技術という文化をどうやって語れば,ものごとに共感し他の文化も含め,知を愛せる心を育めるだろうか / 計算機と自然,計算機の自然(4)

落合陽一です.今回は日本科学未来館の常設展「計算機と自然、計算機の自然」を作る際に考えたことを書いていく連載シリーズの第四回目.

一つの価値基準だけで生きると多くの他の価値基準を持つ文化に対する愛を持つのは難しいのかもしれない.だから,今回はその垣根を突破して考えていくにはどうしたらいいかというテーマ.アートも文学も科学も必要だ.お金になるものが全てでなく,お金にならないことをやってもサステナビリティを考えないといけない.

何度でもいうけど,色んな人の力添えでできた展示なので,お世話になった方々に最大の感謝を込めて,始まったばかりだけど振り返っていきたいと思う.前回までを振り返りたい人は下記のリンクから.

一回目は写真で中を振り返って,二回目からその展示に込めた考え方や感覚を書いて行った.

今回は4回目,感覚的な記述の3回目とは違って,ちょっと深く考えていこうと思う.

科学技術という文化をどうやって語れば,ものごとに共感し他の文化も含め,知を愛せる心を育めるだろうか

僕自身は大学で研究者したり,授業をやる教員をしたり,基本は工学部系の教育に身を置きながら,芸術系とか制作系とか幾つもの大学で客員で教えたりしている.研究室は学生が40人以上いるし,授業は週に10コマあるし,国際会議に論文書くし,授業も幅広い.こうやって過ごしていると,どの分野も優劣なく知を愛する何かなんだと思うし,どの分野も好きだ.また経営者として会社をやっていて数十人の社員と仕事をしていると思うこともあるし,アーティストとして表現していても,国の委員をしていても,一人の父親としても,社会と自分の能力の間を取り持とうとすればするほど,違った価値基準がぶつかることによって生まれる多様性,知への愛や文化への愛が芽生えて来る.つまり,どれも現場は大変だし,どこも競争社会であって,しかし本質はどれも誰と競争もしていない.

一つの価値基準しか認められない大人は育てたくないし,謙虚さは忘れたくないし,研究とは〜〜であるみたいなである節が完成されるほど多様性から遠ざかるし,多角的に見る自分から考えて,未来を子供たちにどう考えて欲しいかを突き詰めて行った.多角的な価値との向かい合い方を考えて,どうやって伝えるか.今日はそんな話.

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…

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