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私は横浜トリエンナーレを歩いている:ギルティ多毛作へのアンサーソング

横浜トリエンナーレどう考えてもよくできている.ギルティ多毛作のベネチアより良いかもしれない.

が,若干モヤっとする.

それはコンテクストを掛け合わせた意味の空間の楽しみ方(トラディショナルでクラシックなアート)を突破したところにあった現代アート(コンテンポラリー)の「現代」が蓄積されたコンテクストでもはや「現在」ではないという程度に近代史クラシック化されたところだ.それは良い.
美しいコンテクストの探究である.和歌を詠んで花を生け,茶器の取り合わせで意味を感じ取るような芸術になってきているが,その形式性や初心者お断り性から離脱して共感可能な「現在」を捜索したのがコンテンポラリーだとすれば,やはりカルチャーは教養と文化と丁寧な探索と精読によるものに回収されている.その回収は当事者や大衆から遠いところに(敷居の高いところに)行っているのではないかと言われれば,その通りだと思う.

第8回横浜トリエンナーレ(Yokohama Triennale)は、「野草:いま、ここで生きてる」をテーマに開催されており、現代アートの国際展です。今回のアートディレクターはリウ・ディン(劉鼎)とキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)で、展示は横浜美術館を中心に、市内各所で行われています​ (第8回 横浜トリエンナーレ)​​ (第8回 横浜トリエンナーレ)​。

トリエンナーレの展示は、歴史的文脈や現代の社会問題を反映したもので、例えば、富山妙子の作品では日本の戦争責任や社会的不平等をテーマにした作品が展示されています。また、サーミ族の血を引くヨアル・ナンゴの作品や、トランス女性アーティストのピッパ・ガーナーによる彫刻も紹介されています​ (TECTURE MAG(テクチャーマガジン) | 空間デザイン・建築メディア)​​ (Tokyo Art Beat)​。

落合陽一の文章では、横浜トリエンナーレを称賛しつつも、若干の違和感を述べています。彼は、伝統的なアートが蓄積されたコンテクストにより、「現在」ではなくなったと感じています。それは、現代アートが形式性や初心者お断りの性質から離れて共感可能な「現在」を捜索する役割を果たしていると指摘しています。しかし、そのアートは教養と文化によるものに回収され、大衆から遠い存在になっているのではないかと懸念を示しています。

まとめると、横浜トリエンナーレは非常に高い評価を受けつつも、現代アートの「現在」としての役割やその大衆性について考える契機を与えています。


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