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原点回帰:研究・創作・ビジネス・メディア…経験を積み重ね,身体と精神の消耗と手を取って歩き,「全てが灰色に見えるまで疲弊し続けること」で「原風景を探す修行」を続けてきて見えてきたものもある

落合陽一です.やっと消耗戦が終わりつつある気もするし,消耗戦が始まりつつある気もするけれどなんらかの気分が変わりつつある,というところでエッセイを書いておくのは重要な気がするので文字を打ち始める.

ひたすら寝ずに作業したり,長いこと休みを取らずにギリギリまですり減らして,「クリエイティブであることのできる瞬間」ができるだけ「持続しない」ように努力することを続ける.一見すると矛盾するこの活動の末に何が残るのか,何もいえなくなるのか作れなくなるのか,何も思いつかなくなって,意味あることを失うのか,そういったところにタッチしないと,クリエイティブであろうとする行為が邪道に見えるような気がし続けている.2010年代の後半からずっとこのスタンスを続けている.

「以前と同じ努力で同じアウトプットが出来てはいけない.とことん消耗し続けなくてはいけない.何も思いつかない・行動する気が起きない程度に疲弊し,じっくり考える時間を失い,自分の凡庸なアウトプットに失望しながら,世間の声に絶望しながら,共感する仲間を持たずに,それでもさらに自分がなくなる方向へ,やり続けなくてはならない」

これをルールとしてひたすら創作や研究やビジネスを続ける.アウトプットの質を落とさないように努力も思考も続ける.このルールが共有されないと行動原理がなかなか伝わらない.それはそうだろう.社会科見学をしながらすり減らし続けるのだから自分で冷笑しながらメディアにも出ることもあれ,すり減らす. 目が死ぬまで続ける.たまに喜びがある.それを感じないように次はしていく.そんな日々を繰り返す.

様々なものと対面して経験して,成果を上げても絶望し,成果が出ない時も絶望し,そうやってあらゆることに絶望をためていく.そして時間は過ぎていく.そんなことを繰り返して6年くらいの時間が経った.そろそろ仕上がりつつある予感がしてきた.壮大な漂白ゲームの末に一週廻ってきた.

漂白ゲームが行き着いた先はずいぶん穏やかな自然な世界観に帰着してきた.そういえば原点回帰の話がAXISのフォーラムであるので,そういった創作の話も含めて何を考え続けているのかを話すこともできそうだ.

原点回帰の原点とはなんだろうか.自己の出現と消失を繰り返すように計算機自然の中で,全ての意志が振動するようにしてしまいたいというものだろうか.生まれては変化し消えては生じる物化の流れに帰着するようにしてしまいたいから表現や研究やビジネスをしているのだろう.それは憧憬や喜びや哀愁や優しさや感傷に満ちた,常に失われつつあり常に生まれつつある状態だ.そうか,「映像と物質」とはよくいったものかもしれない.

そんな大きな流れの中に身を置き,自分が溶けた風景から自然とは何かということを考えている.自分から自分という機能をすり減らし,漂い,唯識から自然へ,物化の最中へ,そんなエッセイを.

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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

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