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糸と人

最近鬱が酷くなっていた。
筋トレやnoteに対してのやる気がまるで無くなってやらなくなってしまっていた。
あと凄く涙脆くなった。
発達検査を受けてからまたしばらく下宿にいたがやはり一人では生活を維持できず帰った。
実家に帰ってからなんか涙がポタポタ流れてきた、止まらなかった。
なんでかは分からなかった。
今の自分や自分を取り巻く現状には特には不満がなかった。
特定の辛い出来事があったわけでもない。
ただなんとなく辛くなって泣いてしまった。
鬱病ってマジで何も無くても確率で急に発症してしまうことがあるらしい。
僕が泣いたのもそういうことなんかもしれない。
自分が辛い理由を特定しようとするともっと苦しくなる気がするからしてない。
ただ辛いと感じている、そのことを認知するだけで十分に思う。

セルフネグレクトがホントに酷い。
三大欲求などの色んな欲求では動けない。
1日0食の日もあったし、風呂に連日入らないとかもザラだ。
髭も剃らない、髪も切らなくてボサボサ。
そんな状態が続くことがよくある。
自分のことがマジどうでもいいっていうか何にしてもめんどくさいからやらないが勝っちゃう。

そんな僕だけど最近髭を剃った。
弟がシェアハウスで食事会を企画して開いた。
弟は地元の鯛を使って、刺身とかあら汁とか炊き込みご飯とかを大量に一人で作っていた。
インスタの宣伝用のポスターも自分でデザインしていた。
流石に頑張ってる弟に申し訳なくて当日はちゃんとしようと思って髭は剃って行った。

あとこの前久々に昔お世話になった人に会うことになった。
その人にはとても良くしてもらったし尊敬できる人だったから、髪も美容院でカットとセットをしてもらって服装もちゃんとして行った。
そうするとやはり気分が良かった。
誰かのためなら自分を良い状態にはできると改めて気付いた。
誰かに見られていて初めて人間として存在できるらしい。
そうでなければ獣のようになってしまう。

絆とか愛は元々は宗教の道へ進むのを妨げる断ち切り難いものだとして必ずしも肯定的に捉えられてきてはいなかった。
キリストは親子の愛よりもキリストを選ぶことが正しいと説いたし、絆は仏教で出家の邪魔になる家族のことを言うのだった。
ただ今の僕には愛や絆がなければ進むのは信仰の道ではなくて畜生の道だろう。
他者からの眼差しを感じる信じることや繋がりがあることで、初めて人間として生きることができる。

僕は絆や縁、ウェブ(網)に糸という漢字が使われるのが好きだ。
人と人の関係って本当に糸みたいなものだと思う。
中島みゆきの「糸」の歌詞にもあるように、人という糸同士が絡まり合って家族、友達、コミュニティ、社会が形成されている。
うっとおしい時もあるけど繋がりがあるおかげでちゃんと生きていけるんだろうな。
また僕という存在や僕の所属するところで僕が誰かを人として生かしているのかもしれない。

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