見出し画像

死について少しだけ考えてみる

起床10:00
就寝 ????


こんばんは。
今日書こうとしてるのは少し自分にとって難しい。
上手く書けるかどうか分からない。
適当なことならそれっぽく書けそうなのに。
本当に書きたいことになると言葉で伝えるのは難しい。
どれだけ工夫を凝らして言語化しても書き上げてみると何か違うという風になりがちだ。
言葉は肝心なときに頼りないと思う。
恐らく絵や音楽や写真などの他の方法もそうなんだろう。
ただ一度表現してみることで自分の頭の中が整理されることや新しい発見ができることがある。
表現の不完全性をもどかしく思いながらも僕らは伝え難いものとほど格闘していかなきゃいけないんじゃないだろうか。

昔は死ぬのが怖かった。
死んでしまったら何か真っ暗な世界に永遠に閉じ込められてしまうような気がした。
孤独で真っ暗で退屈な世界。
それがどうしようもなく恐ろしくて小4くらいまで僕は度々眠れなくなっていた。

ただ最近は死自体はあまり怖くない。
死ぬと自分の肉体や知覚や意識は全て無になる。
だから自分が死んでいることは死後は感じられない。
だから昔考えていたような闇の世界に閉じ込められるようなことはないと考えている。

死ねば全てが無になると考えると、死ぬのも悪くないなとか楽だなと思うことがある。
死とまではいかなくても失うことや持たざることは逆に喜べた方がいいとも思う。

死後や死そのものに対して自分の中で整理がついたあと、僕の恐怖の対象は死の直前になった。
死ぬ前の痛みやどんどん自分が持っていた健康な肉体や思考や意識が失われていくことが怖かった。
痛みについてはどうしようもないと思っている。
まあその時の自分になんとか適応してって欲しい。
ただ自分の持っていたものが失われていくことには僕は今ある程度ポジティブに捉えられている。

体が動かなくなっていくならその分読書や自分の哲学を深めたり、作文や瞑想する時間に使えるかもしれない。
思考や意識が失われていくのも怖くはない。
最近僕は自我があるから、言語を用いて思考できるから人間は不幸せになるんじゃないかと思うようになってきた。
考えられなくなったらそれはそれで幸せかもしれない。
ボケても僕はそれなりに愛嬌はあると思うし人を愛し愛されると思う。
という風に考えると死ぬ直前に色々失っていくことはあまり怖くなくなった。
失って逆に色々得られるものもあると思う。
というか何もなくても幸せとせめて口では言えるようになりたいと思った。
いや、幸せと言いたいというより全てのありえる自分の人生を肯定したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?