#16:吉田秀和著『音楽 展望と批評 1』

 吉田秀和著『音楽 展望と批評 1』(朝日文庫, 1986年)を読んだ。私が吉田秀和の文章と出会ったのは、『LP300選』(新潮文庫, 1981年)が最初だった(現在は、『名曲300選』と改題されて、ちくま文庫から刊行されている模様)。クラシック音楽に魅せられ、熱心に聞き始めて間もない中学生だった私にとって、この本は紛れもなくバイブルだった(もう1冊、諸井誠著『交響曲名曲名盤100』[音楽之友社, 1979年]も、全ページ暗記しそうなくらい繰り返し読んだ)。その頃の私は、これからどんな曲を聴いていけば良いかを導いてくれるガイドブックとして、『LP300選』を繰り返し読んだものだった。当時の私には、その本が内容の優れた本であることは何となく分かっても、吉田秀和の書く文章の凄さは、まだわかるはずもなかった。

 『音楽 展望と批評 1』には、1971年から73年にかけての「音楽展望」と1969年から73年にかけての「音楽会批評」の記事が収められている。私が吉田秀和の文章を意識して読むようになったのは、1980年代の半ば頃からになる。「何となく好き」というレベルで聴いていたクラシック音楽について、その聴き方の大切な部分を教わったのは、吉田秀和の文章を読むことによってだった。作曲家にまつわるエピソードや曲に関する知識なら、他の著作家の本や文章でも知ることはできた。しかし、「音楽を聴くとはどういうことか」を、文章を通じて教わることができたのは、吉田秀和だけだったように思う。「音楽はそんなふうに聴くことができるのか!」「音楽を、演奏を、そのような言葉で表現できるのか!」と目も眩むような思いをしたことが何度あったことか。

 いやおそらく、音楽を聴くことに限らず、何かを考えるとは、何かを理解するとは、そして何かを表現するとはどういうことなのかについても、多くのことを吉田秀和の文章から教わったように思う。この本に収められた文章は、いずれも私にとっては初読だが、久しぶりに触れた吉田秀和の文章に懐かしさを覚えると同時に、約50年前に書かれた「時評」としての文章から、現在の自分が抱えている課題について考えるための問いかけとなるヒントを、いくつも見出すことだできた。私にとっては今でも、私が書物を通じて出会った中で、吉田秀和は最も優れた批評家であり、文筆家である。折に触れて、吉田秀和が遺した文章を、繰り返し読んでいきたいと思う。