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#371:立花隆・利根川進著『精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』

 立花隆・利根川進著『精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』(文春文庫, 1993年)を読んだ。1990年に文藝春秋から単行本として刊行されたものの文庫化とのこと。私は本書を中古書店で入手したのだが、奥付によると私が入手した本は2021年発行の第20刷となっており、長く読み継がれ続けている本であることがうかがわれる。

 本書は対談かと思ったら、正確に言うとそうではない(と思う)。渡辺格氏の「序にかえて」によれば、利根川氏がノーベル賞を受賞したことを受けて、受賞対象となった研究内容を一般読者にわかりやすく解説することを目的に、立花氏がインタビュアーとして行った取材を基に、雑誌に長期連載された(「文藝春秋」誌に1988年8月号から1990年1月号まで断続的に連載)ものが、改めてまとめられたのが本書であるとのことである。

 インタビューは、そもそも利根川氏が研究の道に入る経緯から始まっており、その内容はたいへん興味深い。利根川氏の研究の価値は門外漢の私には十分にはわかりかねるが、ノーベル賞受賞に至るまでの、新しい疑問にぶつかっては、アイデアと巧妙な実験の積み重ねでそれを一つ一つ乗り越えていく半生のドラマは、私には読んでいてすこぶる面白かった。

 ちなみに、『精神と物質』というタイトルは、いささかミスリードかもしれない。というのは、狭い意味での精神と物質の関係のテーマについて利根川氏と立花氏の間でやり取りされるのは、文庫本にして333頁の本書の、322頁の半ばから330頁にかけての部分に限られるからだ。しかし、10頁に満たないその部分でのやりとりは、とてもスリリングである。立花氏が、それまでの、利根川氏の解説を求めるインタビュアーとしての役割から、突然襲いかかるように、どうしても尋ねずにはいられない疑問をぶつけるインタビュアーの役割に豹変したかの感がある、丁々発止のやりとりになっているのだ。

 精神的現象は最終的には物質的過程に還元して説明可能になるとする利根川氏の考えに対して、納得がいかない立花氏は噛み付くように次々に質問を投げかけるのだが、利根川氏は余裕綽々でそうした質問に真正面から答えていると感じられる。私も、どちらかと言えば立花氏の立場を応援したいのだが、利根川氏の考えを少しでも揺るがすことは、なかなか難しそうだ。それは、何も利根川氏が頑固だという意味ではなく、利根川氏が成し遂げてきた仕事の中から生まれてきた、あるいは確認されてきた信念は、やわな(いささか観念的な)疑問をぶつけられた程度では、少しも揺るぎそうにないという意味だ。物質およびその過程による裏付けは、少なくとも近代以降に生きる私たちにとっては、極めて強力な現実的な基盤であることを、改めて思い知らされるやりとりであった。

 本書は30年以上前に行われた取材に基づいており、科学的知見という点では最新のものではないのだろうけれど、読み物として読む分には、私には十分に面白く、刺激的な本であった。