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#77:池見陽、エディ・ダスワニ著『バンヤンの木の下で 不良外人と心理療法家のストーリー』

 池見陽、エディ・ダスワニ著『バンヤンの木の下で 不良外人と心理療法家のストーリー』(木立の文庫, 2020年)を読んだ。著者の二人は、著名な心理療法家とその幼なじみ。幼なじみの実体験に基づく話を心理療法家が聴くことを通じて小説の形にまとめ上げられた作品。どうして、どのようにして二人がこのような作品を二人で共同で作り上げることになったのかについては、本書を読んでみてほしい。少し風変わりな、けれどもとても読み応えのある”小説”である。

 本作品において重要なテーマの一つは、著者が何度か言及する「追体験」にある。幼なじみの話を聴く心理療法家である著者は、著者に固有の聴き方、やり方を通じてその話を自らの中で追体験し、心理療法家の追体験を幼なじみが追体験することで幼馴染の経験に新たな光が当たる。このような過程から形作られた本作品を読む読者には、その読む過程においてそれぞれの追体験が生じる・・・。

 著者が本書を締めくくる部分で述べているように、これはある種類の心理療法の本質に通じる事柄であると、私も思う。私にとっては、心理療法とは、クライエントの語りを心理療法家が心理療法家としての聴き方で聴く、その関係の中で、そうした聴かれ方に誘われて、クライエントの語りや経験に何か予想外の新しいものが生まれてきて、それがその関係の中に姿を現してゆっくりと展開していく・・・そういう営みであると思われるのだ。

 前段落で「ある種類の心理療法」と書いたのは、心理療法にはさまざまなアプローチがあるからだ。ここでは、それを、私の観点から、あえてその違いを強調するやり方で、大きく二つのグループに分けてみる。一つ目のグループは操作と解決を重んじるグループ。二つ目のグループは関係と創発を重んじるグループである。私の立ち位置は後者の方にある(と自覚的には思っている)。

 一つ目のグループは、具体的な目標を目指して効果があるとされる介入を心理療法家が積み重ねるタイプのアプローチである。一般に、心理療法やカウンセリングと聞いて多くの人が思い浮かべるのはこのタイプのアプローチではないだろうか。それは、結果(アウトカム)重視のアプローチと呼ぶことのできるだろう。大学を含む学校教育において、そして社会全体においてパフォーマンス評価が重視される現代社会においては受け入れられやすいアプローチと言えるだろう。実際、例えば、公認心理師の資格においてはこちらのタイプのアプローチを身につけることが求められるかのように喧伝されることが珍しくないし、新たに心理専門職を目指す人たちの間では、こちらのタイプのアプローチに対する関心が高いと、私には感じられる。

 これに対して、二つ目のグループは目的や長期的な目標は明確であっても、具体的にそこにたどり着く道のりはクライエントと心理療法家が共同して発見的に模索するタイプのアプローチである(あくまで私の理解であるが)。一つ目のアプローチに対比して、こちらのアプローチを過程(プロセス)重視と位置づけることができるだろう。こちらのタイプのアプローチは、かつては主流を占めていたが、次第に一つ目のアプローチにその地位を譲りつつある。なぜそうなっているのかについては、私なりに考えるところはあるが、長くなるのでここでは割愛。

 先にも述べたように、私は二つ目のグループのアプローチに身を置く者である。結果を軽んじて良いと思っているわけではもちろんない。ぎこちない言い方をするなら、「意味」を重んじていると言えるかもしれない。心理療法とは、問題を緩和したり、解決したりするものであるばかりでなく、生きるということの意味を探索し、生きることの実感に厚みをもたらし、経験することの可能性を広げていくものでもあると、私は思う。

 本書のような優れた著作を通じて、語りを聴き、聴かれることの豊かさが、そしてそこから生まれてくるものが私たちにもたらしてくれる手応えが、多くの人に伝わることを心より願いたい。