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#41:斎藤環著『生き延びるためのラカン』

 斎藤環著『生き延びるためのラカン』(ちくま学芸文庫, 2012年;原著はバジリコ, 2006年)を読んだ。昔から、ラカンには興味があるのだが、何を読んでもあまりわかった気がしない。だいぶ以前に、スラヴォイ・ジジェクの『事件! 哲学とは何か』(河出ブックス, 2015年)を読んで、一瞬だけラカンについて何かが少し分かった気がしたことがあったが、たぶん気のせいだったのだろう。

 本書は、著者の擬態的な(?)文体が私には相性が悪いが、内容そのものは面白く読むことができた。著者がラカンをどう理解しているかは、比較的わかりやすく書かれているように思った。著者の理解は、ラカンのある一面を捉えてはいるのだろうな、とは思うのだが、もちろん著者もそのつもりで本書を書いているのだろうが、それにしても、ラカンは難しい・・・。また、別の機会に、別の方法でアプローチしてみよう・・・。

 著者の本音(?)がちらりと垣間見えるように感じられる、最終盤の248〜250ページあたりが、私には印象に残った。例えば、次のような一節。

 いま精神分析を語ることに意味があるとすれば、それは第一に『こころと情報は対立する』ということをはっきりと主張するためだ。こころは情報化できないし、メディア論では語れない。そして僕らはこころを持ち、言葉を語り、転移によって関係を持つことができる存在なのだ。(p.248)

 「転移によって関係を持つ」というフレーズには、私には異論があるけれど。