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#103:バトラー後藤裕子著『デジタルで変わる子どもたち 学習・言語能力の現在と未来』

 バトラー後藤裕子著『デジタルで変わる子どもたち 学習・言語能力の現在と未来』(ちくま新書, 2021年)を読んだ。本書は、言語学習、言語教育の専門家による、デジタル機器が「デジタル世代」(おおよそ21世紀生まれ)の言語発達に及ぼしてきている影響に関する実証研究の概括的なレヴューと、それを踏まえてこれからの言語教育に関して著者が考える見通しをその内容としている。

 本書を読んで私に取って収穫だったことの一つは、言語発達にとって、デジタル機器の利用との比較においても、身体をベースにした生身の他者との相互作用が極めて重要であることが、多くの実証研究においても確認されていることを知ったことだ。私自身の日常と仕事の経験から感じ、考えていたことに、一定の裏付けがあることを確認することができた。

 著者が提唱していることの一つは、デジタル機器をいかに賢明に活用するかということである。デジタル機器の使用は、使い方次第でメリットにもデメリットにもなる。当然と言えばそれまでだが、重要な指摘と思う。家庭内で子どもたちにデジタル機器をどのように使わせるのか、デジタル学習のメリットとデメリット、学校でのデジタル機器の活用法など、具体的に検討と試行錯誤を重ねていかねばならない問題は山積である。

 本書の中で、私が一番ショックを受けたのは、デジタル世代は、本の読み方、あるいはもっと広く情報処理のやり方が、それ以前の世代とはすでに大きく変化している可能性が具体的に指摘されていることである。「一冊の本を、心の中で著者と対話しながら、じっくりと読む」という経験は、もはや死滅寸前であるのかもしれない。

 著者は、社会で求められる(あるいは社会で流通する)コミュニケーションのあり方そのものが大きく変化する中で、言語教育のあり方と、その中でのデジタル機器の活用のあり方をそうした変化へと適応させていくことの重要性を指摘しているが、この指摘は、おそらくは言語発達、言語教育の問題をはるかに超えて、極めて大きな問題を孕んでいる可能性があるように、私には思える。

 私が専門とする、対話をベースとしたカウンセリングや心理療法の適用可能範囲は、私の理解と想像よりも遥かに急速に狭まりつつあるのかもしれない。著者が述べるマルチモーダルなコミュニケーションのあり方へと、伝統的な心理療法は適応していくことができるのだろうか? それが可能であるとするなら、どのような道筋で? 考えるほどに、重たい課題である。