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運命

Mステ、SONGS、CDTV、、、、
ジリジリ忍び寄る湿った夏。
私がaikoと出会ったのは桜の時だった。
何年かぶりにaikobonという所謂アーティストブックを引っ張り出してページを開くと、若いaikoのデジカメファッションページがパラッと外れて抜け落ちた。
ファーストシングルからのライナーノーツを読みながらしみじみ思う。ずっと私の生活にはaikoがいた。つまらない日々もツラい日も、もちろん楽しい時にも。大変ベタな表現ではあるが、それはずっとaikoの音楽と共にあった。

SONGSでaikoが『運命』という曲を歌っていた。ライブのド定番ソング。何もかも忘れて盛り上がる曲。あの小さい体で全力で音楽を届けるaikoはきっと、沢山の人たちにとっての運命の人だ。それだけのパワーを秘めている。

そしてここでまた思い出してしまうもうひとりの運命の人。島田昌典さん。インディーズからaikoの編曲を担当していた、もうひとりのaiko、といっても過言ではない存在。
私は音楽に精通していないので、編曲なんてツウなお仕事はどんなものかも分かっていなくて、ほぼほぼaikoが作ったものに少し手を加えるくらいのものだろうと思っていた。分かっていたことはaikoに島やんと呼ばれていることくらい。
そんなある日、いきものがかりの『帰りたくなったよ』という曲を偶然耳にしてえらく気に入った。どこかaikoを感じたから。
中古だけれど、もう一曲気に入った『茜色の約束』のCDと共に購入した。
それで知ることになる、編曲 島田昌典
あ、島やん、、、。え、だからaikoなのか?
他には、これまた大好きな『SAKURA』も。
編曲を担当した楽曲を調べてみると、
YUKI 歓びの種 とあり、また、ファッ!となる。YUKIはそこまで詳しくないが、この曲は大好きだった。
単なる偶然ではなかった。
だが、全てを島田さんが担当した泡のような愛だった、を最後に、編曲に島田昌典の名前を見ることはなくなった。
正直馴染めなかった。私の中の大好きなaikoぽさの一部分は確実に島田さんによって作られたものだったのだなあと感じて、ちっともわかってなかったなあと不甲斐なく思ったりした。
それからの私は、どんな音楽を聴くときでも、編曲に注目するようになった。更に音楽を聴くのが楽しくなった。
友達といいねー!なんて言っていた関ジャニの『奇跡の人』のアレンジャーが、、、御察しのとおり島田昌典。
もう笑ってしまう。と同時に、もうaikoには戻ってこないのかなと切なくなった。

でも、aikoはチャレンジして少しずつ変化して、特に、『恋をしたのは』あたりから、またすごくいいなあと思うようになった。
そしてアルバム『湿った夏の始まり』の発売が発表され、フラゲ日まであと2日!という時、アルバムのアレンジャー情報によりTwitterがざわめいていた。
なんと島田昌典さんが戻ってくる、、、。
本気で震えて半分泣いた。
大袈裟だ。
でも私の音楽人生半分以上を占めてるんだもの。笑わないでほしい。

新生aikoに島田さんが加わって
20年の集大成。そうなの?
やってくれた。

だから
aikoは
格好いいな

#日記 #エッセイ #コラム #aiko #島田昌典

赤いストローを沢山仕入れます。