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トマトと、育児休業と、医局をやめた医師の話

我が家のトマト

我が家ではトマトを育てている。
植物っていいっすよね。成長を感じるだけで季節の移ろいを感じられるし、3歳息子と一緒に育てることで、野菜好きになるし。
僕は、小学校2年生くらいの時にナスを育ててからその後ずーっとナス好き。(CoCo壱のトッピングは常にナスとチーズ)
トマト栽培して育っていく感覚が小学生以来の懐かしさと楽しさを感じます。

そこで、今年は「めちゃなりトゥインクル」という、ふざけた名前の品種のトマトを育てている。
文字通り、めちゃめちゃたくさんの実がなる種類で、我が家のベランダも、実が凄いことになっている。

1ヶ月くらいほぼ毎日3-4個収穫しているが、いまだに実が尽きる気配はない。
その育てやすさゆえに、全国の小学校などでもよく採用されている品種らしい。

トマトの成長

トマトの苗は、始めはかなり小さい。10センチくらいだろうか。身長95cmの3歳息子の膝くらいの大きさで売られている。
しかし、ひとたび育ちだすと、伸びるペースはすごい。
1ヶ月経つころにはその背丈を超え、そして2ヶ月経つ頃には2mくらいになっている。
支柱として購入した緑色の棒は、長さが足りなくなってすでに今年3回買い替えた。

僕の身長は175cmだが、ガッツリ見上げる形になりながら毎日水をあげている。
よく育つなあ、と感心しながら育てていた。

おじさんの一言

親戚に、甲信越地方で野菜農園をしているおじさんがいる。
とても気のいいおじさんで、ちょくちょくラインでやり取りをして、トマト栽培のコツを伝授してくれている。
先程出てきた、「トマトを育てるときに支柱を使う」というアイディアも、おじさんが教えてくれた。
支柱を置くことで、トマトが一生懸命まっすぐ伸びて、いっぱい実をつけるようになるらしい。

そんなある日、トマトが凄い勢いで伸びていること、身長をゆうに越していることを報告したところ、こんな話を教えてもらった。

「トマトはどんどん成長して延々と伸びちゃうから、タイミングを見計らって頭をカットしてあげてね。そうすることで、今までにできたトマトに栄養が行き渡るようになって、より一層実がおいしくなるよ。」

この話を聞いた時、ふと、我が身に置き換えて考えてしまう自分がいた。

頭をどこかでカットして、今まで作った実に行き渡らせる

自分は成長が好きだ。
小学校3年生の頃に夏休みの約1ヶ月をかけて出版されたばかりの「ハリーポッターと賢者の石」を1冊読んでいたのが、4年生になった頃には、ひと夏で1〜3巻まで読み切れるようになった時は自分の成長を感じて嬉しかった。

5年生の夏という少し遅れ気味の時期に入塾して始めた中学受験の勉強も、毎日の成長が楽しかった。
中学受験が終わった後も、人よりも頑張って色んなことを覚えて成長を感じるのが好きだったから成績はそこそこ良かった。
大学受験もしんどかったが、医学部に合格した時は本当に自分の成長を感じて幸せだった。
大学に入ってからも、毎年のようにやってくる試験の嵐にどうにかこうにか(たまに追試にかかりながらも)進級し、気がつけば医師になっていた。

もちろん、向上心に満ちた人生と言いたいわけじゃない。
ダラダラする時間も沢山あった。
ひとりで漫画を読んだり、友人や家族とゲームをしたり、旅行に行ったり・・・ただ、一定の楽しさを感じながらも、「この時間をもっと有効活用したほうが、将来のためになるのに」という、どこか後ろめたい感覚を常に持って過ごしていたように思う。

医師になってからも、医学の勉強の面白さを感じ、せっかく取った夏休みで帰省している間も、「救急外来ただいま診断中!」をベッドで横になって読んでいたくらい。(今考えると、もっと親と過ごす時間を大切にしておけよ!と思う…)
3年目になってからは、「医師としての成長を目指す集団」ともいえる「医局」なるものに入局した。夜遅くまで仕事をするし、仕事のあとに勉強会に頻繁に参加するし、県外にも勉強しによく行った。休日にスタバに勉強しに行ったりしていた。

とにかく、自分の成長に夢中だった。
というか、成長する自分にのみアイデンティティを感じていたから、「将来のために、今を犠牲にして成長しないと、自分がダメになってしまう」という半ば脅迫観念みたいなものがあったのかもしれない。

そんな人生に、変化があったのは、結婚、そして子の誕生だった。
いや、正確に言うと、息子が1歳のころ、妻の復帰に際してワンオペ育児休業を取得してからだ。

育児休業で、気がついたこと

子が1歳になるまでは妻が育児休業を取っていたが、その間も、自分の成長に貪欲だった。
育児するのは、週末にご飯をあげるときと、夜中の授乳後の背中トントン(ゲップを出してあげるための儀式)くらい。
それ以外の平日は、とにかく勉強や仕事のために病院に長い時間残っていたし、週末に県外の学会や勉強会に行くこともあった。(妻がワンオペ育児に参ってしまって実家に帰るという事件もあったくらいだった)

子が1歳になって、ふとしたきっかけがあり、育児休業を取得させてもらった。
今考えると、「育児休業を取ると、将来の自分のためになりそう」という、漠然とした下心みたいなものを持っていたと思う。(僕はこれまでの人生でも、「将来のためになりそう」という選択肢を取りがちだった)

育児休業を取っている間は、すごく不思議な感覚だった。
コロナ禍真っ只中の育児休業だったから、他のお子さんに会いに行くみたいなことは少なかった。
その結果、これまで毎日医師として働く中で感じていた社会での喧騒が嘘のように消え、静かな世界に子どもと二人きりの生活になった。
やっていたことと言えば、誰もいない開放された平日の児童館に行って息子と二人で遊ぶか、近くの公園に連れていくか、ご飯を食べるか、寝かしつけるくらい。
毎日仕事に明け暮れていた日々から一転、ひたすらに子どもと向き合う日々。
子どもは毎日変化していく。
特に1歳児なんて、1-2週間の間にすごい変化を遂げている。
同じような毎日に見えて、明らかに変化しているのだ。
そんな毎日の息子の変化に日々感動した。
二度と来ることのない、1歳児との日々を、大切にしたいと思った。
それと同時に、二度と来ることのない、目の前にいる妻との毎日も、大切にしたいと強く感じるようになった。

勉強して職についてお金を稼いでいるのは、何のためかというと、ひとそれぞれの「実」を味わうため。
僕の場合は、家族と過ごす時間が最大の幸せだと感じた。どれだけ将来のために勉強したり、準備をしたり、仕事をしても、今この瞬間、目の前にいる家族と楽しく過ごせる時間は、二度と戻ってこないことに気づいた。

今を楽しむことと、将来のために備えることのバランス

今楽しむことと、将来のために備えることのバランスを取るのは、本当にむずかしい。

特に、医師などの、いわば人生の半分くらいを勉強に忙殺されながら生きてきた人種は、「今を犠牲にすること」に慣れすぎている人が多い。
その結果、社会人になっても、勉強が仕事に置き換わって、時間外労働(残業や当直業務)をしまくっている人が多い。
そして、競争社会でずーっと生きてるから、他人と比べて「デキる」医師になりたがる。
そもそも、研修医として社会に出た直後から、それが正しい生き方なのだ、という価値観の中で育ってきたから、それが普通と感じていた。
しかし、それは、自分ひとりの時間や、家族との時間を犠牲にしてしまっている価値観でもある。

成長志向なのは大事なことなんだけれど、油断したらそれに支配されてしまって、今を犠牲にしすぎて楽しめなかったり、自分が楽しんでいたとしても家族を犠牲にしすぎているパターンは多い。

まるで、伸びすぎたトマトが、上へ上へ伸びることに一生懸命になりすぎた結果、せっかく作った実をしっかり甘くすることを忘れてしまうように

自分になった実を、精一杯甘くするために、

育児休業を取ってから数年が経ち、僕は「医局をやめる」という形で先端の枝をカットした。
10年目にもなっていないのに、医局をやめるのは、一般的な入局した医師と比べたら、きっと早いほうだ。
きっと、医局に属しているほうが「医師としての成長」はし続けられる環境だろうし、もっと偉くもなれるだろうし、色んなハクもつくんだと思う。
けれど、医局という、時間的・体力的・金銭的負担が必要なシステムに属して成長を保証してもらうのではなく、家族との時間をきっちり取れる職場に転職することにした。

人と比べず、昨日の自分を超えること。
アドラー心理学では、これを優越性の追求というそうだ。
「誰かと比べて凄い」とかじゃなく、昨日の自分を少しづつ超えられるようにマイペースに努力する。それと並行しつつ、家族の楽しい毎日という「果実」をしっかり大切に収穫しながら、過ごしていく。
それで人生としては十分なんじゃないか。

トマトをみながら、そんな風に思った。

トマトの先端をカットした、その後・・・

現在、トマトをカットして2-3週間が過ぎた。
カットしてからは、あのおじさんが言った通り、トマトの赤くなり方が早くなり、かつ実の甘さも増したように思う。
ただ、意外だったのは、カットしたところ以外の芽がにょきにょきと育ってきており、ぶかっこうながら成長し続け、まだまだ新しい実を作ってきている。

なんだかそれを見て、僕の医師の人生も、たとえ医局という一つの選択肢を切ってしまっても、別の選択肢でどうにかこうにか伸びていけるんだよ、と勇気づけられたような気がした。

このトマトのように、自分らしく伸びながら、家族との時間を味わって、人生を過ごしていきたいな。


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