嵐から学ぶ、コンサートにおける最重要曲の配置 #3

はじめに

「コンサートでメインを担うであろう『僕なんか』と『飛行機雲ができる理由』はセットリストのどこに配置すればいいか、つまりコンサートにおける最重要曲はどこに配置すればいいのか問題を、嵐のコンサートを参照して考える」シリーズ、全3回の最終回です。

前回・前々回は、当時のグループを取り巻く状況や背景と併せてメインの使い方を分析し、それぞれの役割と根拠を推測しました。後述しますが、私は今回取り上げた5つの使い方が基本であり全てだと考えています。

そしてやはり、メインはコンサート終盤に配置されることが多かったです。メイン級の強さを持った楽曲が1曲しかない場合は、尻上がりにピークを作っていくために終盤に配置するしかありません。ですがアルバム曲だけでなくシングル曲にも強さがあれば、仮にアルバム曲をメインとした場合、メインをど真ん中に置いて周りをシングルで固めることが出来ます。即ち、新曲に価値を見出してコンサートを展開出来るか、また新曲や未披露曲がどれだけストックされているか、これらが重要になってきます。

本稿では、『僕なんか』と『飛行機雲ができる理由』の使い方を考えていくのですが、日向坂のコンサートにおいては上述したような「コンサートと新曲・未披露曲の関係」が考慮されていません。なので、これを前提として日向坂コンサートの特徴や問題点を指摘し、それらを解決するには何が最善かを考えていきます。その最善策が上記2曲の使い方に大きく関係します。


メイン活用法のまとめ

今回取り上げた5つの活用法をまとめました。

1.セカンドブロック 1曲目

狙い(一例):コンサートやグループ自体の勢いを表現するために早々からメインを投入する
ポイント:後半の選曲(メインに匹敵するレベルの楽曲があるかどうか。軸を序盤と終盤の2つ用意したい)

2.コンサート後半序盤(≒中盤)

狙い(一例):①中弛みを避けるため、②新しく一から空気を作りやすいから(転換点となるMCの次にメインを配置する場合)
ポイント:新曲の使い方(これまでのコンサートと差別化を図るため。オープニング、クロージングを新曲にするのがベストで、この3点を軸にしたい)

3.クロージング

狙い(一例):そのコンサートの全て(となる演出)を表現するため
ポイント:如何に定番を崩してクロージング以外に差別化出来るか(思い切った選曲と構成がベストだが、コンサートによっては敢えて定番を崩さないのもアリ)

4.クロージングブロックの一つ前のブロック

狙い(一例):尻上がりに一日のピークを作っていくため
ポイント:クロージングブロックの構成(ラストスパートを展開してそのまま締めるのか真面目なブロックとして締めるのか)

5.クロージングブロック(≠クロージング)

狙い(一例):①それまでにメインとクロージング以外の楽曲の選択肢を無くすことで、この2曲ないし3曲だけに集中させることが出来るから(ジャンクションとの繋がりを持たせるためにメインをクロージングに置かず、メインとセットになり得る曲をクロージングに起用)、②楽曲・構成・演出への自信を観客に示すため
ポイント:クロージングが終わったらすぐに暗転させる(カットアウト締め)

これらを見た時に、「オープニングでメインを投入すればいいのでは?」と思う人も少なくないはずです。「コンサートやグループ自体の勢いを表現するため」ならオープニングでもおかしくはないし、「新しく一から空気を作りやすい」ならオープニングが最適だし、なんなら観客の集中力が一番高いのはオープニングです。目的としても観客の状態としてもオープニングで全て解決するのではないでしょうか。

ですが、彼らはオープニングにメインを置きません。これは「オープニングに観客が集中しているのは当然なのだからそれ以外の(懸念している)場面で集中してもらうよう仕向ける」という意図があるのではないかと推測しています。ここで、今回取り上げた5つのコンサートのオープニングを見てみましょう。 

2007年春『ARASHI AROUND ASIA+ in DOME』
『A・RA・SHI』

2008年夏『ARASHI AROUND ASIA 2008 in TOKYO』
『Love so sweet』

2009年『ARASHI Anniversary Tour 5×10』
『感謝カンゲキ雨嵐』

2010年夏~2011年始『ARASHI 10-11 TOUR "Scene"〜君と僕の見ている風景〜』
『movin' on』

2017~2018年『ARASHI LIVE TOUR 2017-2018「untitled」』
『Green Light』

もちろん"強さ"としては高い楽曲ではありますし、絶対に当時のセットリストに組み込まなければいけない楽曲でもありますが、正直この曲以外でも務まる選曲でもあります(もちろん全てのコンサートではない)。本稿におけるメインはあくまでも主観的な選び方なので必ずしも正解ではありませんが、もしかしたらオープニングをメインとしてるコンサートもあるかもしれません。ですが嵐においては、オープニングをジャンクションやダンスブレイクなどを活用して長い時間をかけて展開していくことは無いに等しく(「無駄なことはしない」という言い方も出来る)、反対にメインはそれらを活用し観客の集中を高めようと工夫しています。これらから、「嵐は、オープニングの重要性は観客の当然の集中力に任せて、一番観てもらいたい構成・演出が特に詰め込まれているメインブロックを、懸念している中弛みや観客の疲労・飽きを回避させるために活用することで、コンサートの厚みにも繋げることが出来る」と考えます。


結局『僕なんか』と『飛行機雲ができる理由』はどこに配置にするのが現時点でのベストか

これを考えるにあたって、以下がグループに必要だと考えます。

  1. オリジナルアルバムの発売、それに伴う全国ツアー

  2. コンサートのテーマが「新しい日向坂のコンサート」であること

①オリジナルアルバムの発売、それに伴う全国ツアー

つまり、「新曲が多いコンサート(セットリスト)をこのタイミングでしっかり作らなきゃいけない」ということだ。

日向坂のコンサート制作陣は「コンサートを開催する」ということ自体に重きを置きすぎて、新曲を「セトリを潤すもの」ぐらいにしか捉えていません。つまり、イベントのコンセプトや目的が先行しているため、「新曲を文字通りメインと設定したコンサート=新曲を1日のピークに設定することの出来ているコンサート」がほとんど作られていない状況です。「櫻坂と日向坂の合同コンサートを開くのはどうか、タイトルは『W-KEYAKI FES』」とか、「全国ツアーのリベンジを開催しよう、グループの勢いをさらに加速させるためにタイトルは『全国おひさま化計画』」とか。時期としては新曲発売(発表)直後でそれを見越した日程なのだろうけど、新曲の価値とセトリの様相に一貫性がない。さらに、本編終盤における楽曲の役割と位置が固定化されていたのでそこまでに余程の演出や構成を展開しない限りは後味は同じです。ただこれは「東京ドームまで」にしたいところ。

日向坂はコンサートに対してそれなりに力を入れていると思います。でもそれは「開催する」ことだけに注力したりセトリの構成を定番化させることではありません。コンサートを見据えた作品や、作品を起点としたコンサートを作るフェーズに入っていいのではないでしょうか。寧ろ今このタイミングしかないだろう。もちろん、そういったコンサートが全くなかったとは言わないが、『ひなくり2021』以降の所謂スタンダードなコンサートを作れるようになってきたこのタイミングで、コンセプトに楽曲が付随したものではなく新曲を起点としたコンサートを制作するべきだと思います。

2020年以降は新曲発売のスパンとコンサート開催のスパンに相関性が見られず、定番化された構成とも相まってセトリにおける目新しさをあまり感じられませんでした(演出の工夫は見受けられたが)。これらを解決するには、セットリストが20曲前後である場合、「最低でも半分の10曲を新曲で構成する」ことが前提になると考えます。そこから、シングルや定番曲の扱い、コンセプトに沿った過去曲のピックアップ、MCをどのタイミングで行うかなどの構成を練っていく。つまり、次回以降のコンサートテーマ(≠コンセプト)は「新しい日向坂のコンサート」だ。

②コンサートのテーマが「新しい日向坂のコンサート」であること

  1. 新曲を起点にセットリストを組む

  2. これまでの定番を全てリセットする

  3. MCの回数と位置を熟考する

  4. メインを最低2曲定めてそれらを軸に構成していく

ここでようやく本章タイトルに戻ります。
結局『僕なんか』と『飛行機雲ができる理由』はどこに配置にするのが現時点でのベストか。答えは「もう1枚シングル出したら考える」。そりゃそうだ、前提が「新曲をあと10曲欲しい」なのだから。もちろん、メインを任せられそうな風格をこの2曲は持っているし、これらを軸にしたコンサートを考えることはそれほど難しそうではありません。問題は、この2曲を軸に展開するために必要になるであろう7thのもう1つの全体曲『知らないうちに愛されていた』です。音源発表前までは、「これが前作で言う『思いがけないダブルレインボー』なのか『アディショナルタイム』なのかで、次回以降のコンサートも私のモチベーションも変わってくる」と思っていたのですが、実際聴いてみて「コンサートにおいてはまたなんとも言えない中途半端な感じ、扱いに困る、でも良く言えば色々な場面に使えるから柔軟性はありそう」という感じでした。もしかしたら次のコンサートのキーになるのはこの曲かもしれません。ただ、「中弛みを避けるために新曲を使う」みたいな適当なやり方だけは絶対にやりたくないし見たくないですね。


終わりに

今回取り上げなかったコンサートについて

今回選考から漏れたコンサートは、2014年冬に開催された『ARASHI LIVE TOUR 2014 THE DIGITALIAN』です。理由は、盤で言うとDisc-2に収録されている『A・RA・SHI』からの15曲(ラスト以外はメドレー)をアンコールと認識するかしないかが難しいからです。私はアンコールじゃないと思いたいのですが、(クロージングの)『Zero-G』と『A・RA・SHI』の間が明らかにアンコール前の感じで、ファンもそんな待ち方をしているので、今回はその15曲分をアンコールとみなしました。となると「untitled」ツアーと作りが似ているので割愛せざるを得ない、という感じで選考漏れです。

また『ARASHI LIVE TOUR 2015 Japonism』ですが、これもメインにおいて作りが似ているという理由と、メイン級の楽曲が多くどこを取ってもハイライトになる、つまり「明確に1つの場面をハイライトとして取り上げることが出来ない」ために選考漏れです。ですが嵐のコンサートとしては最高傑作だと思っています。このコンセプトを打ち出したタイミングも完璧ですが(デビュー15周年というアニバーサリーイヤーを終えた次の年)、オリジナルアルバムを引っ提げたコンサートツアーとしての完成度はグループの歴史において群を抜いていると思います。Japonism色を強め過ぎずにアイドルコンサートの要素と上手く調和させることに成功しているのです。これは「15年やってきたグループだから出来る」作品ではあるものの、バックストリートボーイズのコンサートを1回目は純粋に楽しんで2回目はメモを取りまくるような松本潤(敬称略)が、そして若い頃から歌舞伎からバレエまで様々なエンターテイメントをコンサートに落とし込もうと吸収してきた松本潤が、デビューから15年で培ったものを発揮する最高の機会になったことが大きいと思います。またこのコンサートがジャニー喜多川氏に褒められたということは、『Japonism』こそ「ジャニーズのコンサート」であり、ジャニーズの理念である「伝統の継承」を表現したものといえます。


秋元康系女性グループにおける[新曲発売→コンサート開催]の壁

彼女たちが新曲を発表する時はシングルという形態を用います。そこには、全体曲に加えて期生曲やユニット曲が収録され、合計6〜7曲が用意されます。内訳・パターンとしては、①全体曲4 + 期生曲3、②全体曲3〜4 + ユニット曲3〜4、という感じです。しかし本稿で取り上げてきた「新曲をメインとして扱うコンサート」においては、期生曲やユニット曲がメインとして配置されることは卒業コンサートやアニバーサリーコンサートなどの特別公演ぐらいでしかあり得ないので、メインの候補となるのは3〜4曲しかない全体曲になります。つまり新曲がそれしかないと言っても過言ではありません。この「期生曲やユニット曲を必ず制作すること=全体曲をシングル毎で3〜4曲に設定すること」は、セットリストを作るにあたって足枷になっていると考えています。それは前章で述べたとおり、「新曲発売のスパンとコンサート開催のスパンに相関性が見られなかった」からです。

現在は日向坂には3期生までしかいませんが、これから4期生が加入することで期生曲が1シングルで4曲も占めることになるだけでなく、新メンバーの有望枠をユニットとして起用したり、メンバーが増えたことで組み合わせも多彩になってユニット曲が増えたり、選抜制度も導入されるかもしれません。その状況下でも「新曲を7曲用意する場合、全体曲を1曲減らしてまで期生曲を4曲用意するのか、1曲増やしてユニット曲を収録するのか」みたいな問題の正解は今すぐに出すことは出来ませんが、これまでのようにシングルを1枚出す毎にイベントのコンセプトや目的が先行したコンサートが開催されては、「新しいメンバーが加入した」ことしか目新しさがない、つまり本質的には何も変わっていないコンサートになってしまいます。

新曲が6〜7曲しかないのにそれらをメインとしない、メインにしたとしても保守的なコンサート終盤の構成によって後味は同じ、なのにその定番を許せる程の構成や演出が練られていない。そして私が理想としている「多くの新曲を大前提として、少なくとも前回と差別化出来ているコンサート」を作るとするならば、やはりオリジナルフルアルバムを制作することが最善だと思います。せめてシングル2枚は欲しいです。

コンサートを開催するにあたってオリジナルアルバムを発売するメリットは「楽曲の豊富さから来るセットリストの選択肢が増える」ことだと考えます。『Japonism』や『「untitled」』のように、メイン級もしくはそれに匹敵する楽曲がオリジナルアルバムに多く収録されていると、必然的にコンサートの完成度も上がります(ただセットリストの選択肢が増えるため逆説的に作りづらくなることもある)。それらが少なくても、その他の収録曲でいかにメインまでもしくはメイン以降の流れを作っていくかが考えやすく、観客にとっても「展開が読みづらくなる楽しみ」が出来ます。さらに全体曲においては「この曲はこのように使われるのか」という一つの答えみたいものが提示出来ます。これらはもちろんシングル収録曲でも可能ですが、全体曲の新曲が10曲以上もあると、セットリスト全体に満遍なく配置出来ます。今まではこれを3曲で乗り切り、初披露の期生曲・ユニット曲で前回までとの差別化を図り、過去曲で細部の工夫をしていたのです。

対してデメリットは、「セットリストの工夫というよりも構成や演出を工夫しなければならない」ことです。より理由づけが必要になってくると思います。もちろん、新曲が多いとそれらを羅列するだけでセットリストに新鮮味をもたらすことが出来ますし、私が理想としている「新曲が多いコンサート」を文字通り達成出来ます。しかしそれだけが目的ではないのは誰しもが分かることだと思います。新曲発売のスパンとコンサート開催のスパンの相関性を考え直すことが大前提ですが、楽曲の印象を「イヤホンやスピーカーで聴いてる時」、「MVを通して聴いてる時」、そして「コンサートの要素として聴いてる時」で変えなければいけません。これらから私は、①全曲フルサイズを採用すること、②MVやドラマの世界観をコンサートに落とし込むこと、③装置や機構を使うだけで後は何も演出しないこと、このようなやり方が嫌いです。ただそれでも、オリジナルアルバムが用意出来たとして、それらをコンサートの要素として組み込む難易度は意外と高いと思います。楽曲以外での新たな要素や構成を見出すことがカギとなるでしょう。

『ひなたざか』がほぼベストアルバムだったので実質的な1stアルバムを発売するとなった時の理想は、全体曲10+期生曲3+ユニット曲7で最低20曲は欲しいです。日向坂のコンサートは基本フルサイズ20曲前後なので、この中から仮に3曲披露しなくても過去曲が入れるのは3~5曲。全体曲が10曲もあったら軸を3つに設定出来るだろうし、ユニット曲の中でもメインを設定すれば面白いコンサートになりそうです。特にユニット曲に関しては仮に今後このようなスタイルを取った場合、私が嵐のコンサートの楽しみの一つだったソロ曲の披露順、つまり「今回はとしきょんがユニット曲トップバッターか」とか「3期が大トリだ」などユニット曲の披露順で誰が今回において重視されたか・どういう狙いがあるかみたいなものが楽しめるという要素も出てきて、私の理想という話だけでなく客観的に見ても「日向坂ライブの特徴」として挙げることが出来るのではないでしょうか。


今後セットリストを考えるにあたって

これを本稿で書く必要はないと思いますが、私がこの「日向坂46のコンサートもしくはセットリストを考える」にあたって欠陥している点をあえて挙げます。
それは、「グループ、メンバー、ファン、そしてスタッフが共有する、ストーリー・歴史・理念・背景・文脈・相関性みたいものを考慮した構成を汲み取れていない」点です。この視点がないことで、日本のアイドルらしい「パーソナリティに焦点を当てた構成や演出」を提案出来ません。それは、以下のツイートを読んでから痛感しました。

私は「ジョイラのあの演出がどういう意味を持つのか」について、このツイートを読むまで想像出来ませんでした。なぜメンバーの衣装が光ったのか、なぜメインステージまで歩いたのか。光る理由はともかく「2022年にもなって衣装にこんなギミック採用する?」とすら思って鼻で笑ってしまいました。しかしこれは、メンバー自身が虹に加わることで、メンバーとファンさらにはスタッフとの絶対的な関係を示した演出だったのです。さらにバックステージからメインステージに戻る演出は、「メンバーはこれからもおひさまと同じベクトルを向いて歩んでいく」という意思を表したものでした。

このような気付きが得られない理由は、単に私の想像力が足りていないだけでなく、メンバーのパーソナリティやグループの歴史・変遷の深掘りにそれほど没頭していないからだと思います。「ひなあい面白れぇ」から始まり「メンバーかわいい」が溢れてきたところで止まっているようなものです。なので、シングル表題はもちろん裏表題の考察をしたり、MVを何度も見返して小ネタを拾い上げたり、雑誌のインタビューを読み漁ったり、ラジオを聴いて比較的リラックスしたトークからパーソナリティを想像することもない。そしてそこに感情移入もしない。楽曲のフォーメーションにも興味がないし、グループの細かな変遷にもさほど興味がないので、文脈や背景を考慮した評価が出来ない。それはセットリストにも影響されていると思います。そういった意味では私のnoteは共感されにくいでしょう。

ただ私は、嵐やSMAPというジャニーズのコンサートを小学生の時から夢中になって観てきました。2020年春に日向坂をひなあいから好きになると当然コンサートも観るようになるのですが、個人的には好きと言えるものではありませんでした。しかし、以前から好きなアーティストのプレイリストを作る時は基本的にコンサートをイメージしていたり、「CD音源をライブサイズに編集してライブ音響再現アプリで再生する」という趣味、またそこから延長して「演出や構成を思い浮かべながら聴く」ことが好きだったので、いつの間にか東京ドームコンサートという大イベントの理想を作るようになっていました(調べたら2020年11月からはてなブログで下書きし始めてました)。このタイミングでコンサート哲学がかなり確立していることに気づき、はてなブログを開設、現在はnoteを更新しています。

日常の一部になっている日向坂46のコンサートを、楽曲の強さやコンサートにおける役割、適性、可能性、また意味付けされた構成や狙いなど、グループの背景や文脈を良い意味で無視した「楽曲単体を並べた時のコンサート」をイメージして、セットリストに関しては何周何十周もして可能性を探る。これらが私の視点であり楽しみです。これからもこのスタイルでやっていき、いつか私にとってのハイレベルなコンサートを観れる日を願って本稿を終わりにします。

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