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偉大なる航路を進むために必要なブレーキについての考察

自分は良くも悪くもバランス感覚に長けていると思う。このnoteでも結構ハチャメチャなことを書いているようで、自分の中に引かれている絶妙なラインだけは踏まないようにしている。これが悪くもなのはこのせいで突出できていない部分があると考えているからだ。
年々歳を重ねるごとに「普通」になっていく感覚がある。例えば自意識過剰になったりとか、物事を斜めから見たりすることを辞めて、起きた事象に対してどんどん当たり前のことを言ったり、行動を起こしたりしている。多分これは合っている。正しい方向に向かっている手応えがある。
前に夏目さんと高橋さんがやっている「まんじがため」というラジオで、このことをメールで投稿したら二人は「それでいいし、そっからだ」的なことをおっしゃてくれたことに結構支えられている。

学生時代は壊れたノートパソコンを灰皿代わりにしたり、おしっこを切りながらリビングに向かったりしていた。これらの行動は自分に対する挑戦というか割と自覚的なもので、行動で行動の可動域を広めていくみたいな行為だったように思う。
それから周囲の人達に「ちゃんとしろ」と数年間言われ続けた結果、割ときちんとした人間になってしまった(自分的には。服とかも気を遣うように少しはなった)。俺は人の話を真に受けすぎる傾向があるので、もしかしたら皆のせいでまっ平らな人間になってしまったのではないか?と疑ってた時期もある。
出来ているかどうかは別として「ちゃんとしなきゃちゃんとしなきゃ」と何年も何年も自己暗示をかけた結果、俺は自分に対してより強くブレーキをかけるようになった。
もの凄く、くだらない事実を書くが、このブレーキの塩梅が「金」に直結している。これは踏んでも踏まなくてもだ。それに悩んでいる。踏みすぎるとおもしろくないし、ノーブレーキだとおもしろいことにはおもしろいのだが、社会との繋がりを断絶することを意味する。ここ数年で自分の活動に対して、お金を支払って頂いたのは社会(会社)である。
ブレーキを踏まずに生計を立てる場合は、応援してくれている人から直接お金を頂くというスタイルを取るしかない。
自分は相方に出会わなかったら間違いなくブレーキを踏まないという選択を意識的にも取っていたと思う。自分はそれでいいのか?とここ数年ずっと悩んでいたのだが、最近はもういいや~って感じになっている。
というか順番があって、どちらにせよ先に絶妙なバランス感覚で大勢の人に認められてから、好き勝手やった方が効率的なのかもしれないなとも思う。
特に最近はこのブレーキ加減を間違えたり、過去の踏み間違えを引っ張りだされ社会的に抹殺されている人達を大勢見掛ける。そんなことで飯が食えなくなること、人の人生をジャッジできると勘違いしている大衆の阿呆に腹が立つのも事実だが、まあ自分も気を付けようと思う。発言や行動に気を配らなければいけないフィールドに立てない芸人は、まず金を稼げないという事実に俺は勝てない。

このブレーキ問題は友人関係にも至る。面と向かっての会話、LINEのやり取り、全てにブレーキが必要とされる。大人と子供の違いは「加減ができるか否か」であり、周囲がドンドン踏み加減を学んでいく中、自分は「コミュニケーションそのもの」をあまり理解していないのでよく事故が起こる。
よく分かっていない中で人と上手くやるためには「とにかくブレーキをかけまくっておく」だ。嫌われないようにどんどん発言や行動が控えめになっていく。実際はなってないし、むしろアクセル全開だからこそ(ブレーキを踏まなければ!とは強く思っている、また一方的に人に喋りつづけるのは会話ではないと最近気が付いて焦っている。絶対治す。)人と話して解散した帰り道とかに不安になる。
治すのは治すんだけど、もうどうでもいいや~とも実際思っている。俺は親しい友人と遊ぶと疲れる。彼らに嫌われたくないと思えば思う程に、不必要な気遣いが炸裂してしまうからである。不必要と自分で分かっているならその部分を辞めたらいいと思うのだが、どこが不必要なのかは分からない。「重要な部分」が分からないのでページ一杯全ての行に蛍光ペンを引いている感じだ。そこら辺の塩梅が謎過ぎる。ただそんなことを一々気にしている友達っておもろいか?と今日ふと電車の中で思ってしまって、結構悩んだ。
なんか友達のこと逆に俺って舐めてんじゃないかな?とまで思った。
昨日も書いたけど、みんな自立している。当たり前だけど俺がいないくても全然やってける。全然やってける中で俺と友達でいることを選択し続けている。雑に考えたりすることと、言語化できないなにかを信じることは別だ。
例えば俺には相方ともう一人スタッフの長尾(映像編集)という男がいる。
元は大学の友人で、気が付いたら人生を共に歩むような関係になっていた。簡単に言うとシャレにならないところまで来ちゃったのである。29歳という年齢はそんな感じだ。これはどの芸人も同じだが(自覚していない人が多いだけ)「一生売れなくてもいいから続けようね」みたいのが我々には一切ない。売れなかったら途中で終わっちゃうんだろうねって、よく話すようになった。ネタを書くのは俺だし、俺はこのチームのリーダーだと自負しているから、最近なんかすごい気負っていて「二人のためにやるぞ」と思っていた。でもなんかそんなこと言ってる奴に付いていく気にならなくない?とふと思った。単純に雑魚い感じがする。ルフィが(最近また読み始めたので)「おいお前ら。俺はお前らのために海賊王になるっつってんだよ!ドン!!!!」とか言ってたら速攻漫画を破り捨てていたと思う。
実際のワンピースは「あいつは海賊王になるらしいよ(伝聞程度)。それを信じてるし、俺個人としても世界一の剣豪になりますわ。」みたいな感じである。
俺は主人公なので(みんなもそうよ)もう好き勝手に突き進むことにした。

それと俺はやっぱり自己中心的な人間であると思う。
さっき歩きながら「相方か自分どちらかが死ななくてはならない」という条件を突き付けられたどうするか?ということを本当にリアルに具体的に考えていたのだが、俺は「ジャンケンにしよ」と言うと思う。
で多分負けるし、その後にめっちゃごねてとーやが「じゃあいいよ。諒君の代わりに俺死ぬよ。」と言ってくれるまで騒ぎ立てるんだけど、彼はそういうことを絶対に言わないタイプの人間なので、最終的に殺し合いになるような気がした。いいコンビじゃねえか。
あとなんとなく今気が付いたのは、元々一人だって分かっている人の周りにはめっちゃ人がいる。それは多分彼らが人に依存しないからだと思う。俺もそうでありたい。考え過ぎて疲れた。風呂入ろう。















落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。