51歳になりました。
昨年の50歳も区切りなんだけど、51歳まで入院もせず元気に生きたことには、特別な感慨があります。
父が51を前に会議中脳溢血で倒れて、(倒れたオフィスが女子医大の前だったので)すぐ手術ができ、運良く一命は取り留めたものの仕事は引退することになったんですよね。他山の石、というか身近にケーススタディがあったから、脳ドックなど検査は定期的にやっており、気をつけてはいますが、そのことはずっと、心のどこかに引っかかってました。
あれは自分が大学4年のときなので、はや28年。51を越えたら大丈夫なわけではないけど、今この瞬間は病院や生命保険のお世話になっていませんね(あ、生命保険からコロナの給付金もらったか)。
父は、今は薬をたくさん飲んでこれ以上病気になりようが無い感じで、言葉や体は不自由ながらも楽しくやっています。そういう人生でも良いけど、元気なら元気なりにできることがあるので、運が良かった、ありがたい!としみじみするわけであります。
子育ても、娘が来年大学を卒業するんで終わりが見えてきました。生まれたばかりのこと、幼稚園に送ったことを昨日の事のように思い出しつつも、こないだ渋谷で深夜まで飲み歩いたり、大人と大人の関係になってきました。性格や考え方が似ているので、非常に話が合います(笑)
医療の進歩等々で、自分の世代はわりと元気に100ぐらいまで生きそう。ようやく折り返しか…。
昨年6月に転職するのとともに拠点を愛知県江南市に移しています。名古屋から電車で20分のところで単身赴任、一人暮らしをしています。移ったのがまだコロナで騒いでいる時期だったのでお店の開拓は全然できず、ひたすら自炊。会社に自転車で通って昼は自作の弁当です。やればできるもんですね。片付け含めて結構面白いし。
で、長年お世話になったゲーム業界に舞い戻りました。サン電子、ファミコン時代のレトロゲームで有名なサンソフト事業の立て直しをやっています。上場会社なので調べると色々出くるから興味ある方は見てほしいのですが、20年に経営体制が変わって会社全体が「再び成長軌道に乗せよう!」という状況です。事業も経営も課題だらけだろうなと思って入社したら、その通りでした(笑)
でも、なんとかしたい!という経営陣の意気込みは感じるので、日々密にコミュニケーションしつつ、英語しか通じない人がいるんでEnglish Speaking Muscleも鍛えつつ、最近は近所のジムに入って体も鍛えつつ、楽しくやっています。
市場は拡大しつつもプレーヤーは世界中に増えてるし、簡単に業績回復なんてできる感じでは無いのですが、何らか道はあるだろう、と思ってこの一年、色々仕込んでいます。まだ確信まで行きませんが、それなりに前進できたと思います。いい歳になってプライドやこだわりも無いし、力抜いてできている感覚があります。
最初は解像度低くても、動いているとヒントとなる事に繋がるんですよね。最近、知り合いとの再会含めてこんなことばっかりです。オンラインとオフライン、両方うまく使いながら効率的に動けるし、ビジネスのスピードは上がりましたね。
今年はさらに国内国外関係なく、動き回りたいと思います。
皆さん、ぜひ会いましょう。名古屋めしはうまいですよ。
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