見出し画像

塩なしポテトをめぐる考察

たまにフライドポテトを食べたくなることがあって、最近はなんとなくその頻度が上がっているように感じる。
特に塩なしのそれは、温かいうちに食べるとほんのりした甘みを感じられるからとても好きだ。

でも、お店が混んでいる時に塩なしを注文してしまい、受け渡しの時に微妙な空気が流れたことがあった。おそらくアルバイトであろうスタッフさんの顔には、面倒な客だという感想が顔に書いてあるように見えた。

美味しいポテトを手に持っていて嬉しいはずなのに、なんだか申し訳なさもある。気持ちのやり場が難しく、もやもやしてしまった。あの微妙な空気の正体を知りたくなって後から調べると、塩なしを作る工程は少し面倒なようだ。

調べる中で消費者サイドの声もいくつか見かけたけれど、小さな子どもと食べるから塩なしを頼んでいる人がちらほらいたものの、塩なしのあの味が好きで頼んでいる人はあまり見かけなかった。

本当にそういう人が少ないのかもしれない。でも、本当は一定数いるものの、あの微妙な空気を避けるべくあえて静かにしている可能性もある。

というのも、なぜ塩なしを注文するのか理解できない人たちの意見が強く見えてしまったのだ。

「塩なしにするくらいならフライドポテト食べなくていいのでは」
「塩なしにしてもカロリー変わらないのに意味ないよね」

あれこれと書かれていると、「だって好きなんだもん!」とわざわざそこへ割って入っていく必要性を感じなくなってくる。「子どもがいなくても塩なしを食べさせてほしい…」と述べるのもなんだかしっくりこない。

現にわたしは、無闇に争わず、静かに自分の好きを温めてあげたくなった。

ここ最近まであの微妙な空気を感じたことがなかったのは、単純に今までタイミングに恵まれていただけなのかもしれない。

塩なしポテトひとつとっても、なかなか分かり合えない世界なのだ。それに、無理に分かってもらおうとすると争いを生みかねない。

わたしが出来ることは、注文する時は可能なかぎり愛想よくして、感謝を忘れず、有り難くいただくことくらいだ。機嫌よく生きる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?