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老舗のおにぎりやさん
仕事で情報収集のために参加した展示会。
ほぼ全自動で完結するソフトクリームマシンに、おにぎりマシン、そばゆでマシンたちが所狭しと並んでいて、なんだかもやもやしてしまった。
人間が機械のアシスタントをしているように見え、機械に使われている感が満載なのだ。技術革新という意味ではすごいことだと思うし、全否定する気もないけれど、やっぱりどこかもやもやしてしまう。
食べる喜びを感じたいけど、虚しさがつきまとう感覚。
そういうものに晒されたことで、先月食べた手作りおにぎりの感動が再び湧き上がってきた。
老舗のおにぎり屋さんである「おにぎりぼんご」には週末、驚くほどの行列ができていた。
ずっと行ってみたかった場所で、別件のついでに立ち寄ろうと軽く考えていたから本当にびっくりした。
電話での予約注文もあるとのことで問い合わせてみると、土曜日14時ごろの時点で夜21時の受け渡しだと教えてもらった。
これはもう食べずに帰るわけにはいかないぞ…とひとり静かに決意し、夜の部の開店前に並ぶことで入店に成功。
ごはん前だし食べるのは1つだけにしておこうう…と思っていたのもつかの間。最後まで絞りきれずに、ねぎトロとすじこを注文した。
従業員は3人いたけれど、おにぎりを握るのは1人だけ。何か特別な修練が必要なのかもしれない…。
あれこれ想像を巡らせているうちに目の前におにぎりが届く。両手で食べ始めて、行列ができることに納得した。本当に美味しかった。
炊いたごはんを決まったところに入れたら勝手に出来上がる三角形の無機質なおにぎりと、絶妙な塩加減と力加減で人の手によって握られるおにぎりは、やっぱりわけが違う。
コンビニに陳列されているものには、こんなに心は動かない。
これは、まごころというやつなのだろうか。
人の手によって工夫され、ひとつずつ丁寧に作られたものは、どことなく人懐っこさが感じられるように思う。
手にごはん粒をつけながら、ほろほろと崩れるおむすびを食べている時に思いを馳せたいのは、手間ひまかけてくれた作り手のまごころなのかもしれない。
この感覚は、便利で効率的で無機質な銀色の塊からは、生まれっこないものなのだ。
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