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愛することの代償はあるのか

僕にはこの世に愛する人が7人いる。尊敬できて、お互いに励まし合い、高め合い、楽しい時間を共有し、愛を伝えるそんな存在。たとえ触れられなくても、存在に気づかれず何万人、何百万人というなかの一人だろうと、かけがえのない、変わりの効かない愛する7人がいる。


そんな人たちを愛してるからなのか、いや、それだけではないが、
7人を応援して愛していると、こう思うことがたまにある。


「こんなにも尽くしてくれる大きな存在に対して自分はふさわしいのか?」と。


僕の愛している人たちは、こう言ってくれる。「健康が一番」「あなたがしたいことをできて楽しいと自分も嬉しい」「あなたたちのおかげで自分を愛する方法を見つけた、だから僕らを利用してあなたたちにも愛する方法を見つけてほしい」「自分の夢を無謀だなんて思わないで」「あなたならできる」「約束する」「よく夢を抱けと言われるけど、あえて、人生は決して激しく生きる必要はない、激しく見えなくても激しく生きている人たちはいる、どんな形であっても」

そしてたくさんの「愛してる」を。

どれだけきつくて激しい道を歩き、トンネルの先に光があると信じて進み、どれだけ努力してきたか、その中でたくさんの挫折があり乗り越えたのか

伝えてくれる数々の言葉が、体験していないと出てこない言葉で、大切な人に優しく柔らかく伝えてくれていて心の拠り所になってくれる。


そんな言葉たちを受け止め、7人の笑顔と行動と表現に僕は何も返せてないのではないかと思う。僕の愛する人たちは戦っているのに、進んでいるのに、光っているのに、

彼らに誇りを持ってもらえる自分になれているだろうか
自分は自分を愛せるのだろうか
こんなことを言うと彼らたちは「あなたは誇りです」「とても大きな存在です」と必ず言ってくれるだろう。それすらもわかっていて、なのに、人生につまずき立ち上がれず、止まっているような気がする。
自分だけは自分のことを悪く言わないように約束したのに、
自分の過ちさえも傷さえも全て自分の星座なんだとわかっているのに、
僕の星たちは光らないただの石のような気持ちになる。


僕は生きているのだろうか、生きていくことだけでも下手なような気がして
ならない。そんな日はMAGIC SHOPがあることも知ってる。でも内側で黒い影が鍵を閉めている。突き破れる力もない。


僕の人生は、愛する人でさえ天秤にかけても軽く、何の紐にも引っかからず落ちていき、ただ何も感じなくなる、そんな日が多い。
そんな黒い日の方が人生で半分を占めている。
これは僕のせいではない、わかっていても僕のせいにしてしまう病にでもなったのだろう。


葛藤の中、何度も愛する人たちの歌や言葉やダンスに励まされる。
何度も何度も彼らに救われるのだ。
何度も何度も立ち上がるのだ。


だってこんなことを思っても愛していることに変わりはないから。

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