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勉強すればするほど、書こうとすればするほど書けなくなる

自分のような医者にも、人様に文章を書く機会をいただけることがある。いわゆる、他のお医者さんに向けて書く専門的なことだ。このように、たまに何かを書く仕事は、いろんな縁から10年以上前からあった。

最初の頃はとても書くことがすんなりいったと思う。書いているうちにいろいろなアイデアが芋づる式に浮かんできた。その中でよいアイデアを選び、何度も書き直しながら筋書きを立てて書いている、いい文書を書いているつもりであった。今考えたらそんなに大したことでもなかったのだが。

自分の専門知識を提供して人様からお金をもらう仕事だ。自分の臨床と、勉強した知識をあわせ、知識を文章にしていくことは、自分の仕事から「収穫する」ような、そんな面白さを感じていた。

臨床の仕事をすれば、他の仕事がさらに増えるように、文章を書けば他の仕事が回ってくるようになった。来るもの拒まずで、仕事をするのが僕の主義でもあるが、数を書いているうちに、勉強しているうちに、なぜか文章をだんだん書けなくなってきていた。ここ数か月は本当に苦しんでいる。どうしてなんだろうか。ずっと考えていた。

自分が医学的な文章を書く中で意識していることは、当然だが大前提として「医学的に正確でなければならない」ということであった。これがなかなかに難しい。その一句、その一句、自分の認識に誤りはないか。そう試行錯誤しているうちに、「勉強しても勉強してもまだ足りない」という焦りが生まれてくる。そして「人が面白いと思える文章を書けるのか」というプレッシャーである。同じ内容の文章でも、表現の仕方や、流れを変えるだけでまったく文章が違ってくる。そう、自分の文章力のなさが顕在化してくる。そのような気持ちに押しつぶされそうになっていた。

一方で、このノートの記事を書くのに実質今ですら15分もかかっていないのである。こんな文章を書いているなら次のページを書いてくださいと言われそうだ。何が違うのだろうか。

何か違うっていうか、全然違った。まったくもって俺頭使ってないし、そもそもうまく書こうというつもりもない。脳内垂れ流し状態。なるほど、何かを「書こう」と思ったらそこで負けなんだな、と思った。いい文章を書こうという気持ちこそがまず克服すべきことなのかもしれない。
自分の文章を見てみると、壮大なストーリーを描こうと勉強し書き始めたものは、知識としてはハイレベルなことが書いてあるのだが、なんとなく真面目過ぎて面白みが足りない。何にも考えずに書き始めた文章の着地点は大荒れになり何度も書き直しになるが、その方が紆余曲折あって面白く書けているような気がしてくる。

もちろん、専門的な知識を提供するのが自分に与えられた課題であり、それについて妥協するつもりはない。だけど、書き始めることにはあまり何も考えずにやってみてはどうだろうかと思う。


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