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変わりゆく女友達~大久保さんと葛城ミサトの言葉による救済

ところで、女友達とは不思議だ。
確かにわたしたちは青春の時間を共に過ごしたのに、
異なる環境に入った瞬間女友達とは2パターンにわかれる。

①どちらからともなく連絡して会い続ける友達
②仲が悪いわけでもないのにもう二度と会わない察しがつく友達

しかし、女友達とは過半数が後者なのは、わたしだけではないと思う。
①と②の間に絶対的で普遍的な決め手はなく、これは人それぞれ必ず異なる。
①の友人たちは、この世界では通称「親友」「マブダチ」「ズッ友」(古いだろうか?)などと呼ぶのかもしれないが、どれにも当てはまる気がしないのでわたしは彼女たちを「サステナブルフレンズ」と呼んでみたい。

わたしにとっての「サステナブルフレンズ」の定義は、
「会話ができるかどうか」と「誠実かどうか」だ。

簡単に聞こえるが、実はこの世は風変わりなわたしにとっては会話が成り立たない人類がほとんどのため、会話ができる人類は絶滅危惧種である。
わたしはいつだって相手の意見を求めるし、ディスカッションがしたい。だから、
「そっか~」「たしかにね~」「わかんない~」
などで会話を終わらされると、腸が煮えくり返るほどイラついてしまうのだ。
わたしは人間的会話においてドMなのかもしれない。いつだって何か言い返されていたい。否定はされたくないが、自分では考えつかない意見を常に求めている。

2つ目の、「誠実かどうか」については誰もが重要視するのではないかと思う。
女というのは、裏切られた記憶を絶対に忘れない。
裏切りに関する記憶力はどんな人工知能にも勝るのではないかという程、執念深く残る。
その記憶は退化することなく、時間が経っても鮮明で、今も生モノとして女たちの身体の奥底で息をしている。
陰湿な嫌がらせを受けていたのに気づかないふりをしたり、
ドタキャンを数回連続でしたり、
女友達より彼氏を優先して酷い態度をとられたり、
秘密を勝手にバラしたり、、、
相手が自分に対して誠実でいてくれないからには、こちらだって同じように対応せざるを得ない。

そして、25歳頃から、女友達はもう1パターン増えた。

③生きる環境が変わったことで話が合わなくなり、距離を置かざるを得ない友達


③の存在が出てきたことがやはり一番辛かったし、なかなか受け入れられなかった。
裏切られたわけでもないのに、なぜかそんな気持ちになっていた。
人は身を置く環境で別人のように変わる。
転職した、仕事をやめた、独立した、
引っ越しした、海外転勤になった、
彼氏ができた、結婚した、子どもができた、、
変数はあまりにも多すぎるし、
人は脆いので一つの変数だけで変わってしまう。
共感できることがなくなったり、
話を真摯に聞いてくれなくなったり、
何より、、ずっとしていたはずのたわいない会話ができなくなるというのは
この上なく寂しいことだ。

そんなどこにも持っていけない気持ちになったわたしを
救済してくれた女性が2人いる。
オアシズの大久保さんと、
エヴァンゲリオンの主要登場人物の一人、葛城ミサトだ。

オアシズの大久保さんはパーソナリティーを務める
TOKYO FMの番組「KOSÉ Healing Blue」で、ゲストのたんぽぽの川村さんと
「『結婚・出産した女友達との友情』を続けるには?」というテーマで話していた。
大久保さんは、女友達とは年代のブロックにおいて

「変わっていくものだと思ったほうがいい」


と言った。
10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代、、100歳。
年代ブロックにおいて、女友達も移ろいゆくものなのだとおっしゃったのだ。
この言葉は、
「今自分が抱えている切なさと葛藤は年を重ねながら必ず向き合わねばならないのか」
という気づきを与えてくれた。
かわりゆくのは当たり前であり、
しかもそれは彼女だけでなく、自分も同様に言えることだという事実をまずは受け入れようと思った。

引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoFm_2Bp5MJ6C2m/
「結婚・出産した女友達との友情」を続けるには? 独身女子の悩みに大久保佳代子&たんぽぽ川村がアドバイス


もう一人の救いの民は
エヴァンゲリオンの戦闘指揮官でわたしの憧れ、葛城ミサトだ。
彼女は、いつもわたしの胸を打つ言葉を言い放つ。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」で葛城ミサトがこんな台詞を言う。

「大人になるって、自分が傷つかない距離を知ることなのよ」


ああそうか、いくらあの子の存在や思い出が大切でも
自分が傷つかないようにするためには、
距離を置く方が結果として英断にもなり得るのか。
ちょっぴり心細いけれど、きっとまた昔のように話せる時がくると信じて、今は距離を置いてみよう。
そう思えたのだ。


大人になるに連れ、流動的に関係が変わりゆく女友達。
その中でも、揺るぎない何かが確実に残っている女友達は
奇跡のような存在に思えるのである。

来週末も、サステナブルフレンズ登録している友人たちに会える。
ああ、女だけで話したいことは積もるようにある。
この1週間も、彼女たちと過ごすかけがえのない時間を想像するだけで
頑張れそうなのだ。
いつか今のように話せなくなる時がくるかもしれない、
そんなことは、今は考えない。

変わりゆく刹那の中で、今を噛み締めたいのだ。

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