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今、ミレニアル世代に必要な「瞑想的」何か

私たち、ミレニアル世代は早死にするらしい。

「そんなわけはない、毎日水を2リットル飲み、週に3日はジョギングをしている」と言うかもしれないが、身体的健康に関係なく、ミレニアルズの心は蝕まれ続けている。日常での生活習慣によって生じる心身の健康問題は急速に増加している。若年層の死因のトップが、鬱や多動性障害といった精神病になる日も近いだろう。

IT(情報テクノロジー)とバイオテクノロジーの革新は、私たちの心を豊かにしてくれるだろうか。テクノロジーの革命により、労働環境は一層厳しいものになるだろう。競争相手が、「最適化・効率化」を好むAIとなると、全く太刀打ちできない。そうすると、労働市場に貢献できないと判断され、余剰人員となる。仕事において成果を期待できないのであれば、さらに心を病んで当然だ。
私がFacebookやGoogleに今入稿しているコピーでさえも、「これがユーザーに刺さるんですよ」と言いながらも、アルゴリズムと闘っているのだ。

私たちが、これから先向き合わなければいけない現実は非常に複雑だ。『サピエンス全史』で世界に衝撃を与えたユヴァル・ノア・ハラリによる『21世紀の人類のための21の思考』では、今後立ちはだかるであろう様々な問題を明確に捉えている。しかし、最も興味深いのは、彼が目を覆いたくなる現実を突きつけたあと、最終章で何らかの解決方法を提示するのではなく、「瞑想」について論じていることだ。

「瞑想」とひとこと言うだけで、いまだに「そんな現実逃避した、あるいは宗教的な、スピリチュアルな話・・・」と言わんばかりの顔をよくされることがある。瞑想とは現実逃避ではない。むしろ現実をありのままに観察し、理解する手段である。現在、溢れる情報と共に増大し続けるタスクに思考を囚われた私たちは、心と向き合うことをやめ週末に逃避行を始めている。

さらに、ユヴァル・ノア・ハラリは瞑想についてわかりやすくこう述べる。

瞑想が世界のあらゆる問題の魔法の解決策になるなどとは、私は断じて思っていない。世の中を変えるためには行動を起こす必要があり、こちらの方がなおさら重要なのだが、団結する必要がある(中略)とはいえ、人間の心や自分自身の心、自分の内なる恐れや偏見やコンプレックスとの対処法を理解すれば、効果的に行動したり協力したりすることが易しくなる。そうしたことをすべて理解する方法は、瞑想以外にもたくさんある。セラピーや芸術やスポーツのほうが効果が出る人もいるだろう。人間の心の謎と取り組むときには、瞑想は万能薬ではなく、科学的な道具箱に追加する貴重な道具と見なすべきだ。

「変化」を生み出すためには実践や行動が不可欠であるが、「変化」は自分の内なるものの理解や観察が起点となる。その自分自身を理解する手段の一つとしての瞑想があるのだ。しかし、自分の心を理解するということは、本当に難しく、辛い。瞑想によって心と向き合うことで、心というものがあまりにも自由奔放で怠惰を好むことを思い知るだろう。私たちは自制心を持つことで圧倒的な利益を得られると知っても尚、企画書の提出をNetflixによって早朝にまで先延ばししたりしている。

瞑想そのものも当然簡単ではなく、修錬を必要とするものであるというのは言うまでもない。私自身、8年間続けているダンスという芸術活動を通じてその効果を感じてきた一人だ。自己表現をする一種の芸術活動において、自分自身の理解無くして、自己表現をすることは不可能だと感じる。人間の心を感動させるためには、途方もないほどの練習や継続性が不可欠だが、その過程では、自分が本当に好きな踊りや音楽と向き合って生まれた「自分らしさ」がなければ、感動させることはできない。

近い将来、ITとバイオテクノロジーの発達は、人々が現実と向き合うことを不可能にするかもしれない。その結果、私たちミレニアルズは精神を病み、生きることをやめさえするだろう。(医療革新により、無駄に寿命を引き延ばしている可能性もあるが)自分自身と向き合うためには、現実を観察する機会を活用する必要がある。ライフスタイルが多様化している今、膨大な情報だらけで自身を見失いそうになる一方で、それらをしっかりと吟味し、咀嚼し、選択する機会はたくさん転がっている。


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