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カオスな街での心地よさ。フィールドの始まり。


高校生の頃、下北沢にあるビレッジバンガードが好きだった。何かに行き詰まると、学校帰りにビレッジバンガードに行き、何時間も過ごした。雑貨や本で散りばめられた店内。意識して無造作に置かれた、何に使うかもよく分からない物ものの中にいると、自分が風景の一部になれるような気がしたから。誰にも気付かれない、というよりも、その中の一部になれる、あの不思議な感じ。

南ロンドンにある、とある駅に降り立った時、あの感覚を思い出した。アフリカの国々の国旗を思い出させる、赤黄緑色の長い帽子をかぶって太鼓を叩くアフリカ系のおじさん。私には理解できないほどの強いアクセントの英語で叫びながら、英語版コーランを無料で配布してる中東系のおじさん。バスを待っている人たちが、秩序なく列をなしている。英語、スペイン語、中国語、よく分からない言語。目に入ってきた白人はただ一人。他は皆、私と同じcoloredな人たちだ。

ああ、この街では私は景色の一部になれる。

デンマークに引っ越してきて、一年以上が経った。クラスメイトはほとんどが欧米出身の白人だ。アジアから来たのは私一人。最初のクラスで、スペイン人の子が「オリエンタルな国から来たのはあなただけだもんね」と不意に言った。大学教授が、文化や前提が違うという話をするときに私を例に持ち出すことにも慣れた。もちろん、道端でニーハオと言われることにも。「私の友達の中国人にすごい似てるんだけど親子かなと思った!」と言われたことも、友人の誕生日パーティーで黄色人種の子がいたときに「あれ彼氏?」と冗談で言われたこともある(ちなみに彼は誕生日を迎えた友人の彼氏で、Danish-Koreanだった)。別にそんな嫌な気はしない。でもそういう小さな小さな体験は積み重なって「私はマイノリティの黄色人種である」という、洋服の裏に隠されたタトゥーのような、誰にも見えない、でも常に存在する意識を作り上げていった。そしてその意識は、私を、街の、コミュニティの、風景の、一部になることを時々妨げようとする。

だから、この駅に降り立ったとき、このごったな感じを私は懐かしく感じた。「あそこはDodgy(危ない)エリアだから気をつけて」と言ってきた在英日本人の知り合いは、私と違うレンズでこの世界を見ているんだろう。

ロンドン中心部に続く大通りを、懐かしくて心地よい感覚を持って歩いていく。ブラジリアンショップ、アフリカン布のお店。ティーンネージャーがよくわからんことでは道端でしゃいでいる。時折香るウィードの匂い。5分ほどすると、教会や学校、小さな家々が現れ始めた。

駅前の雑踏を忘れるくらいの距離、つまり駅から10分くらいのところに、チャリティセンターはひっそりと建っていた。もう何年も塗り直しをしていないのだろう、オフホワイトの壁は薄汚れていて、少し古めかしいフォントで書かれた団体名とボランティア募集の旗が2階の窓に貼ってある。

緑色の鉄のドアの前に立ってベルを押す。名前と目的を伝えると鉄のドアが開く。目に入ってくるのは次なる鉄のドアと右にある受付。まだ中は見えない。受付の女性が優しい笑顔で微笑んでくれる。アフリカン編み込みヘアとカラフルな服が特徴の彼女は、このセンターで私の名前を一番最初に覚えてくれた。彼女は、来る時と帰るとき、必ず名簿に名前を書くように私に言った。有事の時に誰が施設の中にいるかを確認しなきゃいけないから、と。私が書き終えるのを見届けて、2つ目のドアのロックが外れる音がする。やっと、施設の中に入った。

ここが、私のフィールドの地なのか。

移民、難民の人向けに、就労支援、職業訓練をしてるこのセンターは、いく学校が見つかっていない子どもたち向けにも平日プログラムを提供している。それが、私のフィールドだ。

カフェテリアにいくと、ニカブを外した女性があかちゃんをあやしている。ニカブを外している女性を初めて見た。ニカブは、こういう構造になっているのか。そうか、ここは女性向けの施設だから、彼女は気にせずニカブを外せるのか。

2つの鉄のドア。受付にいつもいる女性。この2つの要素は、安全な場所である、ということを意識的に施設が伝えているようにも見えた。

そんな場所で、新しくロンドンの地にきた子どもたちは、学校が見つかるまでの期間を過ごす。長い子だと、約1年待つ場合もある。

全ての子どもには学校に行く権利がある。

先進国イングランドで、マイノリティの子どもの教育の権利が見過ごされている。そんなショッキングな事実を目の当たりにしながら、私はボランティアとして、研究者として、子どもたちと2ヶ月半の時を過ごした。(続く)

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