迷っていても、大きくは踏み外さないように守られてるから、大丈夫

高校2年生で進路を決める時、私は音楽の道に進むことは全く考えていなかった。週に1回は、ピアノレッスンに通っていたけど、それは趣味の範疇だった。個人レッスンだったので自分の実力が他の人と比べてどのくらいなのかも分からなかった。

受験の前に、ピアノはやめるつもりだった。でも、どういう訳かやめられなかった。

言葉で上手く説明できないんだけど、ピアノを、音楽をやめるという選択肢は私にない運命だったというか。

それで、母親とピアノの先生に話をして、声楽や楽典も習うことになった。習い事も、作曲やジャズピアノやチェンバロなど色々ご縁があったな。

幼い頃からバイオリンやピアノを毎日弾いていたから、特に自分になくてはならないものと意識していなかったし、今は何もやってないけど別に寂しいとも思っていない。

でも、なんだか分からないけど、今、音楽についての文章を書いているということは、私の深いところで必要だからだと思う。感情的には気づいてないけど、音楽は、もう私の中の一部であるということは間違いないだろう。

私は、ピアノを長く弾いているけど、別にピアノ弾きって感じでもない。クラシック音楽を弾いていたけど、クラシック好きっていうわけでもない。そもそも、音楽が好きって自覚もない。

音楽を通して、何かの気づきを与えられているのだと思う。だから、音楽で大成するって感じでもない。

音楽史を通しての気づきとか、色々なジャンルの音楽を通しての気づきとか、楽曲分析の中での気づきとか。

音楽で、私は自分の定点観察をしている。コーチングみたいな感じなのだと思う。

音楽っていう偉大な何かは、ずっと私についてくる。高校2年生の時にどういうわけか、自分の意思とは関係ない感じで、音楽の流れに乗らざるを得なくなった時の感覚は、今でも覚えている。

あの感覚で進んでいけば、大きくは踏み外さないから大丈夫って思える。

この感覚で流れに乗ることを、お客様にも覚えていただいて、自分の人生の旅を続けてほしいと願っている。

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