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泣けなかった、自担加藤シゲアキさんの結婚


その知らせは、桃の節句の昼下がり。
まさかの「アッコにおまかせ」の速報を告げる声。

「その時」は日常の中に突然現れました。

すでに自担からの大切な大切な知らせを載せて私の元にも届いていたFCメール。
「ハイハイどうせメディア情報」と開きもせずに放置してしまっていたスマホは、通知を知らせるランプが寂しく小さく点灯していた。

わたしの耳に飛び込んできたテレビからの第一声。

「NEWSの加藤シゲアキさんも結婚ーーー」



え 待って。何。
え、何をされてる方なの?(いやそれはアッコ)


結婚!???????



そしてその瞬間から今の今まで、いまだ一滴の涙も零せていない加藤担の、
今の気持ちを残しておこうと思いここに記録することにしました。



いつからか加藤担のパブリックイメージが、
「担タレで美しい言葉の使い手である」というものになっており、いうならばわたしはそれとは正反対、長い文章など普段は読みも書きもしない人間なので、
きっと、涙を誘うような感情の細々は紡げないと思います。



シゲに出会ってから今年の春で24年目になります。

当時所属していたユニットB.A.Dとして出ていたコンサート。
その頃ギラついていた他ジュの担当だったわたしの目に映った13歳のシゲは、顔は美しくキラキラとして、ひょろっとしてて品があってステージで輝く姿は本当に王子様のように見えました。あああまりにも恋。
メンカラは今でこそ緑(青)ですが、出会った時から大人になってもずっといつも清廉で眩しかったシゲは、わたしにはとってはイメージがなんとなくいつまでも光のような白色なのでした。


デビュー前の所属ユニットを心底愛してた当時のわたしは、NEWSとしてのデビューは本当に嫌で泣きました。
でもデビューメンバーに選ばれたのはすごく誇れることだし、シゲの人生はどんどんここから幸せになっていくのだ、わたしも一緒に夢を見ていきたいんだ、と思ってまだ愛着も何も無い始まったばかりのNEWSを応援していくことにしました。

その頃からしばらくの間、シゲ本人が裏で行き詰まったり悩んだりしていたことを後になっていろいろな媒体で知った時、当時のファンとしてのわたしの応援は足りていなかったのだろうか、支えにもなれてなかったんだろうなぁととても悔しくなったものでした。


デビューすこし後くらいにシゲが作った曲、「Just do it」の歌詞には本当にその頃のシゲの気持ちが溢れていて、
その中の最後のフレーズ
「君らしくあれ」
という言葉がすごく好きだった。
それは聴き手に伝えてるようできっとシゲ自身のことも奮い立たせてた言葉なんじゃないかな?って思います。

アイドルとしても作家さんとしても、そして結婚しても、わたしはシゲにいつでも「君らしくあれ」と伝えたいなあなんて思ってます。
まあ本人の歌詞のパクリだけども。


シゲらしく、ってなんだろう。
今回のご報告の文章の「申し訳なく」のあたりの気遣いをシゲらしい優しさだと捉える人がとても多いから、きっとそういうことなんだろう。
でもそれだけかな?




さて、
おたくなら誰もがきっと一度は話題にする禁断のワード「もしも自担が結婚したら」

わたしはいつだって少し考えて言った「わたしは大丈夫。何があっても変わらない」

とは言え24年め。ほぼ人生の3分の2(唐突に年代バレかますアラフォー)
大丈夫とか言ってても、本当に「その時」が来たら震える手でメールを開き大失恋したかのように号泣するんだろうなと思っていた。



なのに現実、「その時」は
アッコの知らせによって突然訪れたんです。
アッコに大きな平手打ちをされたかのように(失礼)わたしは一瞬真っ白になりました。


そして
わたしはものの3分でムクリと立ち上がった(早)

不動!の魂!!!(ハイトーン)




キモヲタのお気持ちになるけど(いや最初からそう)
わたしが泣きもせずにすぐ立ち上がったのって、
いつだって加藤担で幸せだったじゃないか、いつだってまっすぐ応援してきたじゃないか、っていうプライド?のような何かが湧いてきて、
涙が出てしまう前に無意識に、自分で自分の背中をバンバン叩いたんじゃないかと思う。


シゲに出会って本物の恋をして隣に立たれたお相手のその位置は、おたくから見ればとてつもないプリンセスストーリーで目も眩む夢のような位置だけれど。
ファンとして夢中になって過ごしてきたシゲのいた青春は、わたしにしかない(加藤担それぞれにしかない)大切な宝物の日常なのだから、わたしは心の中にいつだってシゲのいたわたしの人生が1番好き。 
取り替えられると言われても変えたくない(いや流石にちょっと迷うが)

アイドルとファンとしての形で出会えてよかったと、心から思う。

そしてそのシゲのいる毎日がこんなに長く送れているのは、まぎれもなくシゲのおかげ。
魅力と努力と才能といろんな巡り合わせのおかげで、わたしは今日も変わらず好きな人を見ていられる幸せな日々を過ごせている。

ファンは多分、シゲがいてくれるだけで幸せ。


ここ数日たくさんの同担さんの気持ちを見たけど、みんながシゲのことを世界一の自担だと言ってる。
素敵なことだ。

晴れやかにおめでとうを言えている子もいるし、逆にまだ涙が止まらない子も永遠に祝えないと思う子もいる。
でも苦しんでる感情は別にそれは罪悪感なんて感じる必要のないものだと思う。

おめでとうと言えないことは間違ったことじゃないし、それは他のファンから侵されることのない、自分のシゲへの大切な思いなんだから。
一律で曇りなく祝うことが正しいあり方だなんて思わなくていいと思う。
なんならあまりに好きすぎて一生呪うなら別に呪えばいいと思っている。きっとそういう愛し方もある。

シゲも自分に向けられる無限の種類の感情をちゃんとわかってるから、この知らせを伝える時に、最大限ファンを見つめたやさしい言葉をくれたんじゃないだろうか。
昔から、ステージで自分のファンを見つけた時本当にやさしい表情してたからきっと、同じような思いでいてくれたんじゃないかな。


泣いて沈んで苦しんで自己嫌悪してる自分のファンの姿もわかってくれているだろうし、まっすぐ祝ってくれてる子の気持ちも嬉しく受け止めてくれてるだろう。


ひとりのファンの脳内としては総括、
「結婚は結婚。我々は我々。」
ファンのことは今まで通り変わらず大切に思ってくれてるんだ、と信じてる。

だからこれからも世界一大好き!


きっとそのうちまた、あのくしゃくしゃ笑顔でわたしたちを向いて言ってくれると思うんだ。


バカ野郎、俺の方が愛してるよ
って。


これはまぎれもなく加藤担への魔法の言葉。
わたしの思うシゲらしさってわたしにとってはこの言葉なんです。

人生のパートナーさんがもらえる愛情とは絶対に違う種類の愛。この愛情は、加藤担しかもらえないものだって信じてる。

この言葉を胸にわたしは、このさきもファンとしての愛をこめて応援していきたいです。


もうしばらくこの切ない時間をセンチメンタルに味わう権利があると思っているので、心からのおめでとうはまだやめときます。
きっとそのうち言います♡









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