声のひだまり感。


みなさん、声に自信ありますか?

自分の声ってなんかキライって人、

多いとよく聞きますけどね。


人って声が大事だなぁって感じます。

大事というか、声で選ばれてる人もいる。

それは声の仕事という意味ではなくて、

声がよければ、それだけで魅力が生まれる、

という意味のもの。


芸能人でも声が特徴的な人は

目に届くだけでなく、耳に届くだけでも

その存在感を放つほど。


これって実はスゴイことだと思うんですよね。

才能でもあるし、その声に効果的に言葉を乗せると

かなり無敵な人もいるでしょう。

ベタなところでいえば、福山雅治とかね。

いま、モノマネの福山の声を

脳内で再生した人もいるでしょう(笑)


そして声がいい人がしゃべると、

こんなにも伝わり方が違うのかということも。

ただ、スッと受け入れる声は即効性が強い反面、

飽きられたり、忘れられたりするのも

早くなってしまうだろうなぁと思います。


むしろ、最初は腹立つくらいがちょうどいいと

いう場合もあるでしょ?

芸人の出川も最初は腹立つ声というか、耳ざわりというか。

いまはそれが味で、声で誰かすぐわかるレベル。

なんなら、笑いが増幅される。


声ってやっぱり癒やしの効果もあるでしょうし、

気に食わない声だと不機嫌にもなります。

声のトーンもそう、発声の仕方にもよるし、

テンポや、強弱も大事なんですよね。


でも、ある程度、ここでヘンなテクニックを

使ってうまくなってほしくないかな(笑)。

いまの世の中はなんだか、

人工的な声にあふれていてイヤ。


無機質な音声、感情のない音声とかはもちろん、

しゃべり方のスキルを意識したような、

しゃべりを勉強したマニュアルっぽさが出ると

ちょっと残念な感じになるでしょ?(笑)


あるがままの声と、あるがままの人柄が

「無理なく」備わっているほうが好きかなぁ。

自然と備わってたり、自然と身についてきたような、

あたたかみのある、陽だまりのような声が。

そのほうが本気でしゃべってる感じが伝わる。


声も本来は、直接会わないと聴けないもの。

便利なものがある以前は、対面しないかぎり、

手紙など文章だけで知る人柄と、実際の声との

ギャップみたいなものも、わからなかった。


むかしの人は文章からのイメージで

相手を勝手に?つくり上げて

直接会わないでおこうと、

文章の世界を大事にしていた人もいたんでしょうね、

会って落胆しないように(笑)


だからいまの時代は、ちょっとハードルが高い。

文章+顔が当たり前のように、SNSではなってる。

彼らはそこまで深くは考えていないとは思うが。


動画となると、顔+声+話が基本になり、

身体や性格、クセや器量など

見られたくないものまで晒されてしまう恐ろしさ。

感受性の問題でもあったり、慣れでもあったりするけど。


みんながみんな、それだけの責任を

意識してるとは言い難いでしょうね。

意識してるならこんなに

質が悪い社会にはならないでしょうから(笑)


声というのは、さまざま。

見えない人たちの意見を指す言葉だったり。

世間の声とかね。

声にならない声とか、逆に押し黙ることで

強く伝わるメッセージとしての無音の声も。


テレビやラジオ、動画でもいい。

映像をみないで音声だけに、耳をすませば。

普段、使わない想像力が養われていきます。


リーダーも声ですよ、やっぱり。

シンゾーアベはいくらマジメにしゃべっても

サンド伊達のモノマネにしか聴こえないし(笑)

アソーのダミゴエも不思議とイラつく(笑)

アソーは逆にあの毒がある声がよくなるかも?

いや、もう遅いか。


シンジローなどはセリフっぽいでしょ?

ジュンイチロ―もセリフっぽいところはあったけど、

どこか感情的で、人間的で、ユーモアと豪快さと

キャラクターが立っているぶん、味があった。


トータルでどんな声でも最後にたどり着くのは、

強引ですけど、陽だまり感が生まれるかどうか。

陽だまりとは、そこにあるだけで受け入れてしまうもの。

ヘンなつくりを感じさせないもの。

いまはデジタル全盛期。

しかし、こんな非常時こそ、

よりあたたかみのあるアナログな感覚を、

取り戻す機会なのかもしれませんね。


あったかいはずだよ、ほんとはね。









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