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「お騒がせしてすみません」の意味。


ちょっと気になったな。

お騒がせしてすみません。

あるいは、謝罪の土下座も。


例の観光船の社長も

土下座までの動きが

若干、速いんですよ(笑)


笑ってはいけないけども。

ほんのちょっとのことだが

あのスピードだとコント感が

出てしまいます。


あまり謝罪を本気で

考えていないのが

モロに出てしまってます。


こう言うしかないみたいに

言ってしまう、やってしまう流れ。


態度で示そうよと言うが

態度も形式化、定型的行為。


可視化であぶり出された

真相に対する人間の本性

これに対する不寛容も。


謝罪も定型化すると

あまり効果がない。


何をしても叩かれる要素に

なってしまうけど

どうしようもなくてという

とりあえず感が強い。


サッカーの監督?アレも

世間をお騒がせ状態にするのは

そもそも罪でもないでしょう。

誰か他の第三者に訴えないと

解決できないからだと言う

理屈もわからないでもないが。


各自の当事者同士の件に

無駄にメディアやヤジウマの

介入を許すこのパターン。


ストレス発散のエサが欲しい

大衆がいて、それに応えて

話題を提供するメディアの構図。


どちらかがアソビをやめないと

かといって、発散の場がなく

誰かを責めたくて仕方ない

みたいな流れ。


そんなみんな思ってるほど

シアワセじゃないし。


裕福でもうまくいってても

うまくいってなくても

腹は立つんですよ。


それを逃がす場を

自分たちで塞いでしまって

苦しくしてるだけ。


自分の腹から出すなという

社会の雰囲気が悪いのが

その真相で、原因で。


昔と違うのはバレないのが

記録されてバレてしまうこと。


「お前ら、テープ回してないやろな」

ってのもありましたけど。


監督も社長もバレないと

思ってやってしまってる。


誰かが見てる。誰かが必ず。

それは以前と変わらなくても

技術の進歩によって

誰かが記録している。


ちゃんとやってたとしても

誉められはしないが

ちゃんとやってないと

やっぱり叩かれる始末で。


隠せていたことが

隠せなくなった。


でも中年より上の世代は

まだ意識がひと昔前のまま。


なんというかな。

これは人として言わなくて

いいことだよなってことが

言わないと伝わらなくなる。


あるいは、ここまではこらえて

ガマンするのが美徳みたいな

ラインを楽々と簡単に破る。


このラインに甘えや常識が

形成されていった時代があった。


その時代錯誤になった感覚を

まだアップデートできないまま

年齢だけ重ねてしまったような。



過去の行為をさらして

ダメージ負わそうという

イヤな流れもあるし。


過去の行為がすべて

謝罪案件なら

ほとんどの人間は

もう人生やっていけない。


こんなに苦しくして私たちは

何を目指そうと言うのだろう。


おそらく何も目指してはいない。

ただ自分の中の苛立ちや

行き場を失ったストレスを

誰かや何かにぶつけたい

その衝動があるだけ。


その真実を人間味を忘れて

取り締まる流れに快楽を見出だし

撒き散らしているだけだ。


人と人とがどんどん離れる。

これもソーシャルディスタンス

だというのなら

私たちは目に見えない敵が

内側にも隠れていることになる。


この敵は自分たちの意識を

変えることでしか治らない病。


まったくもってムダなこと。

いつになったら気づくのかな。


何もかも無くなるまでは

気づかないのかもしれないね。







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