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出口がないなら。


みんながAをやろう

と言っている。

でも環境が整わないと

Aができない。


そのときAをやるためには

何をすべきか。


AをするためにBが必要だ

ほとんどの人が共通理解して

必要だとわかっているのに

すぐに動かせない。


その社会のしくみを

どうするか。←ココ。


私たちはいまココ

そしてずっとココです。


法整備され平和が続いた世界では

ココで止まることを余儀なくされる。


現状ではこれについては

政治家が決めるしかない。


政治家が決めるためには

法的根拠が要る。


人が死ぬのを横目でみながら

法律を作り上げるのを

待たなければ。


法的根拠、つまり

こう決まっているから

こうするんです

という理由をつくる。


そりゃもう時間がかかる。

ミチスジをつくらないことにはと。


それまでは誰も変えられない

キマリだからと。


昔の政治家もそうだったんですかね?

たぶん、違うでしょう。


.「やるか、やらないか」は

平和ボケする前の時代は

「殺(や)るか、殺られるか」

でしたから、極端な話。


その精神が息づいていた時代の

名残りがあれば本気度がまるで違う。

職業・政治家しか居なくなった。


ポイントとなるのは

待っていられない状況で

誰がどう決断するのかです。


もっと明確な権限を首長に与え

自然災害や緊急事態の時のため

あらかじめ準備するのも大事。


それと良い意味で法に縛られない

キャラクターの人材を上に置く意識。


晴れの日に傘を持つ人でもダメで。

雨の日に傘を他人に素早くあげる。


そういう人がいて

それを素直に受け取る人がいる。


あとくされなど無く受け、また渡す。

案外、それがシンプルに重要なこと。


ただ、これを機会に法整備して

動けるマニュアルを

情けないが事前につくらないと

日本は沈んでしまう。


先を予測して視野を広く

決めつけず、なおかつ

決断力が解決につながるように

最短距離をすべての人が意識する。


非常時に私たちができることは

このバケツリレーです。


いろんなサイズのバケツがある。

ただ、目的は最終的に火を消すこと。

あらゆる種類の、あらゆる大きさの火を。


火を消すために目的地に水を運ぶ。

何も水ばかりが全てではないが。


運ぶためにすばやく連結していく。

バケツを選んでいる余裕などない。


もしかしたらホントはもう人が

バケツがリレーされてくるのを

待ってならんでいるのかもしれない。


一定のソーシャルディスタンスを

取りながら、もうすでに並んでいる。


しかしバケツは一向に運ばれてこない。

決まったバケツじゃ無理なんだ、という。


バケツをちゃんとつくって

法制化してからでないと

バケツは渡せないんだ、と言う。


ルールだから。

ルールを破るとコッチが

抹殺されてしまうから。

「やると、殺られてしまう」


事件は会議室で起きているんじゃない

現場で起きてるんだ!っていうアレ。

響きますね、相変わらず。


やっぱりルールを無意識に優先して

動けないままになってしまう。

現職の政治家ではどうにもできない。


すぐにでも自分が責任取って辞めてやる

くらいの人物が出てこないかぎりは。


他の先進国は決断力に微塵の迷いも

感じさせないほどリーダーが引っ張る。


責任を怖がって動けない日本と

対照的すぎるくらい対照的だ。

少なくともそう見えてしまう。


ルールの矛先にベットリと付いた

責任という毒薬を見てしまうと

みんな触らず、ひれ伏してしまう。


どんな汚れでも落ちる洗剤も無力。

無力に気づいて、無気力化する。

そのあと無意識に、無視してしまう。


数十年この状態で止まっている。

どこに解決の糸口があるのか。


もう他人任せにしてしまえ。

誰かを責めてればラクだから。

自分は「やってるテイ」をとる。


いろんな問題がそうですよね。

アイデアはある、人も意識もある。

でもしくみがない、追いつかない。

ルールが整っていない。


いつもココで止まってしまう。

原因がわかっていても政治家は

責任という毒薬に触れようとしない。


下っ端に責任を取らせて生き残る。

秘書がやりましたと、神妙な顔つきで。


経済格差、貧困問題。

全部「手は打っている」と言う。

見せかけのポーズだ。


何も変わらないままの、へタコイター。

ヘタをこく人が入れ替わり立ち替わり

現れては消えるだけ。


そりゃみんな呆れて関心無くなる。

どうせ何も変わらないと諦める。


しかしついにこのコロナ禍の対応で

国民はもうガマンしなくなった

兆しを見せた。


先日の地方の何かの選挙では

堂々と「白紙投票」の意思表示が

7000票あったという。


ついに動き出し、風向きが

変わり始めているようだ。


コロナ対策のためだけ

といってもいいくらいに、

ある地方では

元医師が選挙で選ばれた。


ついに政治家を選ばないという

選択が始まったような気がする。


日本を洗濯すると言い放った

かつての幕末の志士がいた。


何よりも意志であり意思である。

医師がやる地位についたのだ。


変わり始めるときは

みんなまだ様子見しながら

少しだけ疑ってかかるだろう。


ちょうどいまはその初期段階。

メディアでは案外取り上げられないが

白紙投票の意味をもっと伝えるべき。


以前にも書いたが

「該当者なし」と記入する

意思表示だっていいのだ。


日本を洗濯するために。

忖度する政治家を選択しないために。


私たちは政治家を選ばないという

選択を続ける投票をすべきときだろう。


何度でも、何度でも。

何か変わるのは1万1回目より

早いかもしれないのだから。





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